自分に向き合う作業をしていると、
誰しも必ず、自分が何かから逃げていることに
気づきます。
どんなに自分に誠実に生きているように
思えても、逃げ道を持っていない人って
いないと思うんですよね。
最近気づいたのは、普段自分が
コンプレックスに思っていることが、
実は逃げ道になっていることがある
という事実。
たとえば、
お金が無いからできません。
容姿端麗じゃないので私なんて無理です。
頭が悪いので仕方がない。
運動神経が鈍いからできなくて当たり前。
などなど。
自分も、だからできないんだ、と信じているし、
周りの人も、あぁ、だから仕方ないよね
って納得してしまう、ある意味最強の逃げ場
と言えます。
それはできる人の言葉でしかないって
反論も確かにありますけれどね、
一方で、そのコンプレックスの中にいると
安心して落ち着いている自分も
いたりするんじゃないかな~って
思うわけです。
そういう人に、じゃぁそのコンプレックスが
解消されてしまったらどうなるだろう?
って問いかけてみると、
やらなくちゃいけなくなるけれど、
それをするのが恐い、とか言うセリフが
大抵出てくるんですよね。
やった~!嬉しい!
思う存分好きなことやるぞ!って
晴れ晴れしい喜びがないのです。
頭では、散々このコンプレックスが
なければな~とか言っているくせに、
実はやりたくなかったんじゃん!
ってね。
でも、そんなことがわかってしまったら、
「自分はやりたくないんじゃない!
できないんだ」っていう言い訳が
できなくなってしまうので、
コンプレックスを逃げ道にしている人は、
そこに向き合うことをすごく嫌がりますね。
その人にとっては、誰しもを納得させる免罪符の
コンプレックスが、すごく必要なのです。
こういう構図って色々なバリエーションがあって、
たとえば、
自分は子供の頃に親にひどい扱いを
受け続けていた。だから自分を呪うような
思考プログラムがたくさん入っていて
幸せになれないんです、というのがあったとします。
でも、自分が本当に幸せになる!と決めたなら
そういうプログラムを自分で抜いていくことは
可能です。
セッション受けなくても、自分で転換
できちゃっている人はいますものね。
自分を幸せにすることに対して、
自分で全責任を負い、毅然として
誰かや何かに影響させていないわけです。
誰が自分を呪おうと、制限しようと、
自分が自分を祝福し、自由でいることを許せば、
それら外部の要素が影響することはありません。
影響されるのであれば、
自分が影響を受け取ることを自分で納得し、
許しているのです。
え~、そんなことないよ、
すごく苦しんでるのに~!
って思う人もいるでしょうけれどね、
頭から否定しないで、
ニュートラルなポジションから
そういう状況にいることのメリットがある
としたら何だろう?って問うてみると、
気づくことがあると思いますよ。
頭で答えるとね、
絶対「そんなメリットはない!」
って即座に言ってしまうでしょうけれど、
頭と本心はしばしば同じではないのです。
問いかけが下手な人は、
頭で決めつけていて、ハートの声に
聞く耳持ってないのです。
感情解放ワークの一番大事なところは、
自分にとって最も不都合な声にも
聞く耳をもって受け止める、ということです。
聞きたくない声を聞き、見たくないものを
見ることが安全にできるような自分を
育てていくのがこのワークなのです。
そういうものに触れたときの苦しみから
逃げないで受け止められたとき、
私たちは、自分自身のより深いところに
触れることができるのです。
誰かが自分を嫌いだからと言って、
自分が自分を嫌いにならなくても
いいわけだし、
誰かが「あなたにはできない」って
言ったからと言って、その言葉を自身の真実に
しなくてもいいのです。
誰かがそうである、そう言ったというのは
変えられない事実かもしれません。
でも、だから私には価値がない、とか
すべての人に愛されないんだとか、
私には無理なんだとか自分を制限する
必要はない、ということです。
誰かがあなたを嫌いでも、
自分が自分を愛しており、大切にしているのなら、
あなたの価値に影響はありません。
あなたにはできない、と言ったその人は、
あなたのすべてを知っているのでしょうか?
なぜあなたはその人の言うことが
無条件に真実だと信じ込んでいるのでしょうか?
そうすることに、何かメリットがありますか?
あなたの言う通りです、と服従することで、
その人の愛と注目と庇護が受けられるとか?
本当に幸せになりたいのなら、
~のせいでできない、と不用意に外部の要因が
自身に影響することを許してはなりません。
また、無意識にそうしている自分に
気づくことです。
気づくほどに、自分がいかに
自ら幸せから逃げていたか、知るでしょう。