人間生きていれば色々なことがあって、
うわ~どうしよう!って右往左往するときも、
もう人生終わった、くらいに落ち込むことも
あるだろうし、
逆に、これ以上の幸せなんてあるんだろうか?
っていうときもあるでしょう。
時が経てばそんな山も谷も、
過ぎてきた道の一つになって
振り返ることができるようになります。
だから、行き止まり!って思えた道にも、
実はその先が続いているのだと
私はいつも思うんですね。
でも、死んだらそれで終わりだろうって
思う人もいるでしょうけれど、
私は肉体が死んでも意識はまたその次に
進んでいくだけって思ってるので、
肉体の死は状態の移行と捉えています。
このことから何が言いたいのかというと、
「道は続いている」ということ。
行き止まりって思えても、
もう方法がない、と思えても、
でも気が付くと人生は「次」の場面に
ちゃんと移行している。
私はいつも、これが
不思議だな~って思うのです。
諦めても、投げ出しても、
なぜかまだまだ「次」はやってくる。
ただ、それがどんな「次」なのかは
そのときの在り方によってずいぶん違うもの
になるんだろうと思うのですが、
「もはやこれまで」と思えた人生のその瞬間、
どんな意識でいるのかって、実はすごく大事なこと
なんじゃないかと思ったのです。
この肉体から命が去っていくその瞬間まで
あらゆる可能性に自分を開いていられるかどうか
っていうのは、なかなか面白いチャレンジ
ではないでしょうか。
ここで終わることを恐れるでもなく、
それも良しとしつつ、
それでもまだ別の可能性があるのなら、
それも逃さない意識でいる自分っていうのは
格好いいな、と。笑
感情解放のセッションでも、その方が
「あぁもう駄目だ」と諦めたような場面で、
本当にそうだろうか?もうできることは
何一つないだろうか?って問いかけみると、
まだこれをやってませんでした、
こんなこともできたかもしれませんっていう
答えが返ってくることがあるんですね。
で、イメージワークの中でそれをやってもらうと、
ストーリーがものすごく変わって、
諦めたときとは全然違う道が開けていきます。
諦めてしまったら見えない扉があるのです。
まだ道は続いているかもしれない、と思って
粘り強く模索することで、見つけられる
カギのかかっていない扉が実はあちこちにあって、
それはうまく問いかけをすることによって
見出されます。
たとえば、
これしか方法はないんだ、と思ったとき、
もっと別のアプローチはないんだろうか?
と問うてみると、
目標を達成するのに、その方法じゃなくちゃ
いけないわけじゃなかったとか、
そもそもその工程自体が必要なかった
とかいう道が見えてきたりする。
それしかない、っていうのは真実じゃないんです。
それは単なる思い込みで、真っ先に疑うべき思考
だったりします。
だから、動かしようがないと思っている大前提を
本当にそうだろうか?って疑ってみることが、
大きなパラダイムシフトを起こすカギになるのです。
あの人の言うことは絶対に聞かなくちゃいけないとか、
私はこうしていないといけないとか、
私にはできないとか、
本当にそうなんでしょうかね?
なぜそう思っているんでしょうか?
いつからそう思っていますか?
何かきっかけがあったでしょうか?
その思考に破綻はありませんか?
まだ確認してもいないのにそうだと
思い込んでいるところはないのでしょうか?
こういったところをつぶしていくと、
強固な大前提も脆いものです。
絶対に変わりようがないと思われた世界が
案外簡単にひっくり返ることもしばしばです。
だから、容易く可能性の扉を模索することを
諦めちゃいけません。
たとえ人生が差し出してくる「次」が
自分の思うようなものでなくても、
それを受け取りながら、絶えず意識は
可能性に開いて在ること。
そういう意識を日頃から持ちつつ
過ごしていたら、人生はとてつもなく
大きく違ってくるのだろうな、
とそんなことを思いました。