パワースポットブームが言われるようになって
久しいですが、私自身、大切に参拝させて
頂いている神社がいくつかあります。
以前は神社参りと言っても、観光でどこかに
旅行に行った際に取り敢えず寄っていくとか、
すごくパワーがあるらしいという噂の場所に
興味本位で行くくらいの意識しかありませんでした。
けれど、今は旅行に行っても地元の神社仏閣でも、
参拝するときの気持ちが以前とは違っているな
ということにふと気づきました。
足しげく神社にお参りに行くようになったのは、
実はここ1、2年くらいのことで、ある出来事が
きっかけでした。
それは地元の八幡様で起きた、あの事件です。
全国に悪評を知らしめた不名誉な事件なので
あまり蒸し返したくはないのですが、
氏子としては本当にショッキングな出来事でした。
生まれも育ちも東京深川で、他の地域に
暮らしたことがない私としては、
生まれてこの方、お宮参りも七五三も
成人式も毎年家族での初詣でも、
人生のことあるごとにお参りしてきた
お宮でした。
私だけでなく、代々この地域で生きてきた
父も祖父も曽祖父も、みなこの八幡様のお祭りで
おみこしを担いで地域のみんなとともに
笑い、けんかし、お酒を酌み交わしながら
人生を生き、あの世に帰っていったものでした。
この地域に生まれ、暮らした人たちは
みんなそうだったと思います。
そんな、人生とともにあったお宮で起きた
神職の私利私欲から起こった不名誉な出来事は
言いようもなく悲しみと情けない気持ちで
一杯になりました。
身近すぎて気づかなかったけれど、
この八幡様がこんなにも自分の人生に
深く影響を与え、支えてくれていたのだと
気付いたのは、皮肉にも強烈なこの事件ゆえ
だったのです。
それからしばらく、あまりに強烈な負の
バイブレーションにお宮自体に近づけ
なかったのですが、
神道に詳しいある知人に
何かしら自分にできることはないだろうか
と相談したところ、自宅の祭壇から
祝詞をあげることを勧められました。
それから毎朝八幡様に禊祓いの祝詞を
唱えるようになり、色々な祝詞に
手を広げて今に至る日課になりました。
そうして半年くらい経ってから、
新たな神職の下で浄化も進んだのか、
境内に足を踏み入れることができるように
なったので、
毎月1日と15日、無理な時は近辺の日にちに
参拝をするようになりました。
あのような出来事が起こってしまったのは
人間の側の罪であり、神さまには
本当に申し訳ない気持ちで一杯である思いで
心から、神さまに向き合い参拝させて
いただいていました。
その辺りから、以前から縁のあった
別のとある神社にも毎月参拝に行くようになり、
また毎月1,2回、友人たちと別の神社にも
定期的に参拝するようになりました。
そんな風に参拝に行くときは、
以前のように物見遊山やパワー欲しさの
ものではなく、
ただ心から神様に向き合い、日ごろの
お働き、守護に感謝するために
足を運んでいます。
だから、まずそこにお祭りされている神様が
どんな神様なのかを踏まえたうえで、
その神様に見合った祝詞があれば
その祝詞を唱えますし、
なければ諸社神拝詞を唱えます。
多くの人が、パワースポットと呼ばれる場所を
訪れるようになり、スピリチュアルな
エネルギーが身近になりましたが、
運気の悪い時に一時、訪れて
エネルギーチャージをするよりも、
実は日頃から、地元の神様を大事にすること
の方が、実はずっと大事なんじゃないかと
思います。
日頃お世話になっているのは、
地元の神様ですからね。
私たちが知らなくても、
やはり地域をお守りくださっているのは
地元の土地神さまたちだと思います。
自分たちの住む地域の、そして
自身の人生を見守ってくださっている
産土神様を大切にしないで、
どうして遠くのよその神様にエネルギーを
もらいに行ったり、お願い事をしに
行くのでしょうか。
考えてみればおかしな話です。
どんな存在であろうと、日ごろからの
付き合いの深さが、やはりいざというとき
ものをいうのではないでしょうか。
日頃のご挨拶、人生の節目節目のご挨拶は、
基本的にはどんな宗教を信仰している人
であっても、していいのではないかな、
と思うのです。
まぁ、宗教によっても色々あるんでしょうけど、
日本の神様はその辺、大らかですから
礼節を持った態度で参拝すれば、
異教徒が来た!とか言って排除しようとは
しないんじゃないでしょうか。
(と勝手に思ってます)
普段はもちろん、人生の苦しい時ほど
産土神様を大切にしたらいいと思います。
遅まきながら、この一年あまり、
定期的にご縁の神社を参拝するようになって、
明らかに私の運気は上がって安定しています。
これからも、定期的な参拝を続けて行こうと
思います。