先日の「魔法の杖を手に入れる」の記事から
アチューメントのお問合せが結構来ている
のですが、
色々な方をリーディングさせていただいて、
やっぱりタイミングと順番って大事
だとつくづく思います。
方向性としてはこの方向で、いずれ
このエネルギーを入れられたらいいよね、
でも、その前にこっちを入れておきましょう
っていう方もあれば、
何か大きなイベントを控えておられる方は、
今はまだアチューメントのタイミング
ではなく、イベントが終わった後で
もう一度見てみましょう、という方もあり、
あるいは、タイミング、選択ともに
ばっちりです!いつでもどうぞ、
という方もあります。
思うに、扉を開く順番ってあるんですよね。
どういう順番で、どんな風に開くのか。
たとえば、Cの扉を開きたいのだけれど、
その手前には特殊な開け方をするBの扉と
Aと言う障害物があって、
まずはAの障害物を撤去してから
Bの扉を開ける方法をマスターしなければ
Cの扉にはたどり着けない、
けれども、近々台風が来るから、
Aの障害物はその台風が去った後に様子を見て
とりかかると良い、みたいな感じでしょうか。
最終的に目指すところ、願いがわかっているのは
良いのですが、そこに最適な方法でたどり着くには
いかにしたらいいのか?というプロセスも
おろそかにしてはなりません。
力任せに突進していけばいいいかというと、
それだと怪我をしてしまいかねませんしね。
分相応、という言葉は成長性がないとか
小さくまとまってしまうとか、
ネガティブなイメージがありますが、
よくよく考えてみれば、
自分を冷静に見る目が無ければ
どの程度が今の自分の「分」なのか
わからないでしょう。
そう考えると、分相応をわきまえられる人
というのは、自分を過大評価も過小評価も
することなく、適切に自分を見る目を
持っている人だと言えると思います。
自分の分限を見極められるって、
簡単なようでいてものすごく高度なこと
だと思うんですね。
そこには、見栄を張りたがる虚栄心や
自分を卑下したくなる劣等意識もなく、
それらに目を曇らされずに
今在るこの自分を冷徹に見通す意識が
通った状態で、自分に対峙し続けているわけです。
決して高みを諦めた惰性の境地じゃないですね。
そういう目を持った人は、
そう大きな過ちをすることはないでしょう。
逆に、自分の分を知らない人は、
自分が何をどこまでできているのか、
何ができないのかが見えていません。
なぜ見えないのか。
自分を見ていないから。(当たり前だけど)
それは、自分に対峙する辛さを越えらえて
いないからです。
辛さを越えるって、辛さがなくなるってこと
じゃないんですね。
辛くても、それを受け止めてその状況で
自分のやるべきことができるってことです。
だから、自分に向き合って嫌なところが
見えてきて辛いんだけれど、そこに意識を留めて
方向転換できるのです。
そういうことができないままだと、
いつまでたっても自分に対峙することが
できません。
ここは、成長したいと願うすべての人が
越えていくべき山でしょうね。
自分のできないことを認められない人を
たまに見かけますが、
こういう人は、できないことを認めてしまったら、
自分の人格や能力のすべてを否定することになる
と思っていたりします。
そうなると、できないのに「でも、だって、
そんなことないし」と言い訳をして
できない事実を自身の認識から消してしまうので、
できないことをできるようにする努力も
始めることはできません。
こういうことも、自分の分限を見極められない
要因の一つになってしまいますが、
自分を否定されるようなショックとか
惨めさとか悲しみ、無力感などなどを
しっかり統合してあげると、
認めても大丈夫になっていきます。
逆に、自分ができていることを認められない人
もいますが、一見ものすごく謙虚なようでいて、
実は完璧主義で理想が高い人なのかもしれません。
上ばかり見ているので、これも自分の現状を
正しく見ることはできません。
このケースも同様に、完璧で居なければいけない
理由がその人の中に在り、それは結局のところ
自分が傷つかないようにするためです。
ということは、その人の中にはすでに、
傷ついた自分がいるということですね。
このカケラ君をお迎えに行けばいいのです。
このように、自分に対峙できないことの奥には
人それぞれ、何かしら本人が受け止めがたい
未完了の感情を抱えているものなので、
そこを放置したままいくら自分に向き合おう
としても、なかなかに難しいのではないでしょうか。
でも少しずつ、そういうところを受け止め、
統合できたら、自分に向き合う辛さはさほど
問題ではなくなっていきます。
あとは、いかに自ら逃避してきたものに
気付けるか、というその一点の問題ですね。
気付ければ、辛かろうが何だろうが、
そこは突破していけるので。
冷徹に、自身を見極め、分限をわきまえられる
人間になっていきたいものです。