よく、自分に自身が持てない時、
ふらふらと、つい人の意見に流されてしまうとき、
自分らしさや本当にやりたいことがわからないとき
などなど、
自分には軸が無い、自分軸が欲しい、
と思うことがあるかもしれません。
こういう軸っていうと、何ものにも揺るがない、
確たるもの、という風に思っている方も
多いのではないかと思うのですが、
そういうものでもないな、と私は思います。
色々な方のセッションをさせていただいて
自分自身が訳わからん状態になってしまっている
人もたくさん見てきましたが、
先日も書いたように、結局は
自分自身を好きでいようと思っているか、
自分自身との間に信頼関係を築こうと
しているかどうかっていうところが
自分軸につながっていくと思うんですね。
プライドがズタズタになって
苦しくなっても不安になっても、それでも
自分だけは自分を見捨てないでいよう
って決められたら、もうそれが自分軸
になるんです。
決して、周囲を圧倒するような才能や能力、
容姿や財産、人脈なんかがあるから
自信がある、それが自分のアイデンティティ
というのではなくて、
人に誇れるようなものが何もなくても、
ただ自分は自分を見捨てない、という
その一事において、
私たちはいつでも、どんなときでも、
心ひとつで軸を立てることができるのです。
そしてその思いは、自分の中のあらゆる苦しみ、
滞りを洗い流し、溶かしていってくれます。
誰かよりもあらゆるものが劣っているように
思えたとしても、大切な何かが失われた
と思ったときも、
その最も心細く不安定な気持ちに
自分が逃げ出さず、寄り添えたなら、
ちゃんと混乱を受け止めて、
再び立ち上がっていくことができるのです。
誰かにそんなことをしてもらえたら、
どんなにか苦しみが和らぐだろうか、
と思えることを、自分が自身に
してあげるのですね。
しばしば、私たちはそれを、
自分がそうする前に、誰かに求めます。
けれど、本当はまず自分自身が
そうするべきであり、片時も
それを怠るべきではないのです。
そんな風にして自分を本当に大切にしている人は、
絶対的な味方が常にいるので孤独を恐れませんし、
心は安らかです。
そして他者に対しては、
本当に助けるべき時に助け、
見守るべき時に見守ることができるので
余計なおせっかいはしません。
それは、何か特別な能力があるから
ということではなくて、
自分自身への愛がベースにあるから
なのだと思います。
自分自身を本当に愛することができないと、
他者を本当に愛することはできないでしょう。
自分を嫌いなまま誰かを愛そうとしても、
それは自分への愛の欠乏感を相手によって
埋めようとしているだけの、代償行為に
過ぎないのではないでしょうか。
つまり、
「自分の欠乏感を埋めてくれる都合の良い相手」
=「私を愛してくれている人」
になっているのではないでしょうか。
こうなると、相手が
自分の欲求を満たしてくれなくなったとき、
その人はもう私を愛していないのだ
ということになります。
常に、相手がどれだけ自分の欲求に
応えてくれるのかということだけが
愛を測る基準になってしまいます。
健全な自己愛が育っていない人は、
このことが人生の様々なところで
混乱と苦しみを生む元になっています。
パートナーシップだけではなく、
親子関係、友人、仕事関係、その他
ありとあらゆる関係性の中で、
自分が相手にどれだけ受け入れられているのか、
常に確かめずにはいられず、
受容されていると感じられれば安心し、
少しでも否定されたり拒絶されたりすれば、
自分の全人格、全存在を否定されたかの如く
深く傷つき、落ち込みます。
たとえば仕事などでも、それは違うよ、
と指摘されただけでも激しく反発し、
聞き入れず、何度でも同じ間違いを繰り返し
自身の正当性を譲らない人は、
このパターンかもしれません。
自分はあんなんじゃない、と思う
あなた自身が、実はそうなのかもしれません。
自分を愛し、見捨てず、大切な存在として
接しているかどうか。
この問いにYes!と答えられないのなら、
間違いなくそうでしょうね。
できない、と言う前に、
そうしようと思うかどうか。
そうしていこう、と思えたところから、
人生は大きく変化していきます。
お金もかからず、心ひとつでいつでも
始められること。
かんたん、ですよね?
あなたの人生に、愛と豊かさが満ちますように。