先日、セルフワークをしていたときに、
何十年も忘れていた母方の祖父のことが
思い出されました。
いつもセルフワークをするときは、
何だか心や体が重くなったり、
気になる出来事があったときなのですが、
このときは、何となく胸が苦しいけれど、
これは何だろう?というところから
入って行ったのでした。
いつものように、体感覚でその重さを
取って、じ~っと感じて行ったのですが、
そのときに、祖父のメッセージを
思い出したのです。
祖父は私が物心ついたときには既に
脳梗塞の後遺症で寝たきりになっていて、
言葉もうまく出ない状態だったので、
いつも母の実家に遊びに行っても、
言葉を交わした記憶はありません。
家族や親戚同士、いとこたちなどが
わいわい話しているのを、ベッドから
じっと見ていたような気がします。
そんな祖父が亡くなったのは、
私が小学生の時だったと思います。
それほど親しみがあったわけでも
なかったので、悲しかったという感情も
ないまま、お葬式の記憶もあまりありません。
それから時が過ぎて、私が20代半ば頃だったか、
祖父が夢枕に立って、
「○○(母の実家)の家を救ってほしい
(あるいは、助けてほしいだったかな?)」
と言った夢を見ました。
そのことを、祖母の家に遊びに行ったときに
祖母や祖母と暮らしていた独身の叔母に
伝えたことがありましたが、
祖母は「助けてくれって言われても、
一体どうしたら良いのかねぇ」
と言って途方に暮れていました。
母に言うと、「私は家を出た身だから」
と言って、動くことはありませんでした。
当時は私の家も色々あって、
先祖供養などを母が必死でやっていた時
でもあったので、実家の方までは
とても背負いきれなかったのでしょう。
私も何となく気になりながらも
どうすることもできず、そのまま忘れて
かれこれウン十年。
その記憶がふと蘇ってきたのですね。
常日頃、ご先祖様のヒーリングは
ことあるごとにやってはいるのですが、
母方はちょっと手薄だったかもしれません。
というわけで、自分の体感に現れた
このサインを辿ってみると、
母方の祖父のビジョンにたどり着いたのでした。
なんだか苦しそうで、あまり明るい感じ
ではありません。
祖父の苦しみにハートで触れながら、
命の呼吸を送るとともに、
ヒーリングのエネルギーを送っていきました。
私はこういうヒーリングをするときも、
エネルギーを流すときは常に、
相手に許可を取ります。
勝手に働きかけをするのは
マナー違反と思うので、
かけてもいいか、と聞くか、
あるいは、必要であればお受け取り下さい、
と断ったうえでかけるようにしています。
これ、エネルギーワークをする人は
心しておくべきことだと
私は思っているのですが、
良かれと思ってやることでも、
相手にとっては余計なお世話なことも
あるんですよね。
たとえば、あなたの髪型ダサいから
私が直してあげたわ、とか勝手にやられたら、
ものすごく嫌な感じしませんか?
自分の基準でダメとかダサいとか決められて、
本人の意志も確認しないまま手を出されることは
本当に失礼な話だと思います。
無条件の愛などの働きかけをするのには
許可は要らない、とする考えもあるようですが、
ほんの少し、もしあなたが必要であれば
受け取ってくださいね、と設定をして
断ればいいだけのこと。
その人の意志を尊重する姿勢は
エネルギーワーカーとしての
最低限のマナーだろうと思います。
話は戻って。
そうして祖父の苦しみを感じ、命の呼吸
とともにエネルギーを流していくと、
随分と祖父の体が明るくなっていったように
感じられました。
と同時に、自分のハートで感じていた
重さもすっと軽くなっていくのが
不思議ですね。
こういうことを体験していくと、
やっぱりご先祖様と自分とは、
今この瞬間もつながっているのだなぁ
としみじみ思うのです。
それから、まだ癒す必要のあるところ、
と見ていくと、母の顔が思い浮かびました。
母との関係性も随分取り組んできて、
今ではかなり楽になっているのですが、
母が私を出産するときの場面が出てきました。
母は私を生むときに臨死体験をしているので、
(生まれるまで丸二日かかったそうな)
その辺りからタイムラインでエネルギーを
送ってみました。
私は出産経験はないですが、
母親になるって、本当に命懸けで、
すごいことですね。
母が死にかけてあちら側へ行きかけたとき、
そしてこちら側に引き戻されたとき、
また私がこの世界に生れ落ちるとき、
何となく、それらすべてを見守る
複数の眼差しを感じました。
これを感じたのは初めてのことですが、
私たちは、決してただ一人でこの世界に
生れ落ちたのではないのだな、
ということを知りました。
そして、その眼差しは、
生れ落ちた後、今この瞬間も、
ずっと見守ってくださっているのでした。
命を粗末にして生きていた時も
あったけれど、そして今も十分とは
言えないかもしれないけれど、
この命、大事に生きなければな、
という思いを新たにしました。
自分の命の原点を辿る、
気づきの多いセルフワークでした。