色々努力しているのに
今一つ成果が無いとかパッとしないとか、
そんなことありませんか?
割と何でもすいすい思うように行く人もいれば、
人一倍努力しているのに、結果は人の半分
もいかなかったり。
そういうのを、努力のやり方が違うんだとか
やっているつもりでやってないんだとか、
そもそもやるべきことじゃなかったんだとか、
潜在意識のブロックが云々とか、
持って生まれたカルマが云々。。。
と、色々分析することはできますけれどね。
どれも一理ある。
だから、それなりにそれも勘案して
対処してみるんだけれど、
やっぱりうまくいかないケースについて
思うところを書いてみます。
あくまで私自身のケースについてなんですが、
目的のために一生懸命努力するんだけれど、
その目的が達成されない時、
不思議とその努力の流れの中で、
本命じゃなかった流れの方に、
実はものすごい意味があって、
後々さらに別の流れに導かれていく、
ということがあるんですよね。
たとえば、私はある講座で学んでいたとき、
人一倍努力したし、相当なエネルギーを
注いだにもかかわらず、結局それについては
完全に挫折したということがあるのですが、
その学びの行動の中で、
全く予期しない出会いがあって、
実はそちらの方が人生にとっては重要で、
さらに次に連なる流れが始まっていくとか、
計画したことはハプニングですべて白紙に
なってしまったけれど、結果的にそれによって
生まれた時間によって、計画したものより
ずっとずっと充実したとか、
本命の企画よりも、余興での体験の方が
後々まで影響するインパクトを持っていたり。
もう数えきれないくらい、
こういうことがあって、
特にここ数年はその傾向が強くなっています。
狙ったところはすっかり空振りなのに、
その斜め上(どこだよ、それ)から
何かが降って来るみたいな感じですね。
なんて天邪鬼。笑
素直に、直球で来ればいいのに、
不思議とそうはならない。
いつも、転んでもただでは起きない
って思ってるせいでしょうか。( ̄ー+ ̄)
魂的には、本命は頭で考えてた方じゃなくて、
こっちだったんだ~!って、いつも後から
気づきます。
よく、思う通りにならなかったときに
後付けで「これも何か意味があったんだよ」
って納得させてるのとは違って、
本当にすごく重要な意味があるんです。
私的には、すごく面白い傾向だな
と思うのですが、なぜなんだろうと
考えてみると、
意識を向けてるところじゃなく、
全く意図していないところ、
余興でサクッと楽しんどこうか!
ってくらいの気の抜けた感じがいいのかな、
と思いました。
一生懸命努力しているところって、
余計な力が入りすぎていて
身動き取れない状態になってるのかも
しれません。
そう考えると、適当に、気楽に
ほどほど、ボチボチやっている方が、
実は人生はスムーズに回るのかも
しれませんね。
元々生真面目な性質なので、
なかなかその力が抜けないのですけれど。。。
何はともあれ、狙った目的だけ見ていたら
失敗に見えたり何の成果も無かった
と見えるかもしれませんが、
もっと視野を広くして、人生の大きな流れから
俯瞰して見たときに、違った景色が見えてきて、
これでもまんざらでもなかった、
と思うことがあるんじゃないでしょうか。
変に「失敗じゃないんだ」とか思いこむ
必要はないけれど、固まった視野を緩めてみたら
思い込むまでもなく、気づけると思うんですよね。
固まった視野でしか見られなくて
苦しんでいる人、多いんじゃないかな
と思うのです。
それって、そんなに不幸なことなの?ってね。
無いって見えるところに、実は有るものがある。
たとえば、よく言われるように、
コップに水が半分入っている状態を見て、
水が半分「も」入っている、と見るか、
水が半分「しか」入っていない、と見るか
って言う話があります。
これはこれで私たちの心の
「捉え方」の問題ですが、
コップに水が入っている部分には
無いもの(空気)があり、
水の入っていないコップの空間には
あるもの(空気)がある
って見ることもできますね。
無い、と見えたところに
満ちているものがあるのです。
その「満ちているもの」に
気付けるかどうか。
それを楽しみ、活用することが
できるかどうか。
これは、自分の意識の使い方一つで
無から無限の有を生み出す錬金術
と言えるかもしれません。
そう考えると、
いくらでも生み出せるものがあることに
ワクワクしませんか?