自分自身に向き合っていて感じる葛藤は、
頭ではこうしたいと思っているのに
現実はそうではなかったり、
自分の内面に「ブロック」があって
邪魔してるように感じられるっていうところが
ほとんどでしょう。
特に、色々な方がこの「ブロック」について
言うのですが、基本、私はあまりブロック
という言い方、好きじゃないんですよね。
なぜかというと、あまりに自分の表層レベルの
ご都合から言い表した表現だから。
どういうことかというと、
ブロックはただの邪魔者で、自分の人生は
これがあるからうまくいかないんだ!
くらいの認識で見られていることが多いですが、
「ブロック」がそこにそのような状態で在る
ということ自体に、意味があるのです。
なぜそれがそこにあるのか。
考えたことありますか?
それはそこに必要があって、存在しているのです。
そして、自分はそのことによって、
何かしらのメリットを享受しています。
え~。。。
そんなメリットなんて何もないよ。
もう邪魔なだけなんだけど。
って思っても、もし本当にあなたがそれを
必要としていないのなら、既にそれは
そこには存在していないはずなのです。
だから、そこに気づかないまま、
どんなに、消えろ~~~!!!
って頑張ってみても、消えないのです。
まずは、自分がそれから享受しているメリットを
見つけて、それが無くても大丈夫な自分に
ならないとね。
たとえるなら、お母さんに衣食住のすべての
面倒を見てもらっているのに、
お母さんなんか嫌いだ~!あっち行け~!!!
って言っても、お母さんがいなくちゃ
生きていけない。
だから本当はいてもらわないと困る。
こんな状態じゃダメだよ、ということです。
お母さんが居なくても生きていける自分を
確立しないと、お母さんから離れられないのです。
こういう風に見ると、お母さんを
ブロックと呼ぶことの不適切さを
お分かりいただけるのではないでしょうか。
もしブロックを本当に外したいのなら、
自分はそれからどんなメリットを得ているか
明確にしなければなりません。
もしそのブロックが無かったとしたら、
自分はどうなるだろうか?
と問うてみるのです。
頭でこの辺りを掘りさげると、
大抵「無ければ自分はもっと自由になれる」
とか言う答えが出てくるのですが、
これでは本当に見るべき答えになっていません。
頭で理想像を思い描くのではなく、
実際にそれが無い状態を「感じて」みるのです。
すると、どこか不安に感じていたり、
なにか心がザワザワして落ち着かない気持ちに
なるでしょう。
それこそが「ブロック」から自立するための
重要な鍵なのです。
それを収めたいがゆえに、あなたはブロックを
自ら作り出して、安定を得ているのです。
自立したいのなら、その安定から出て、
不安や落ち着かない感情に対して
責任を引き受けなければなりません。
これは人によってそれぞれありますから、
ご自身でその不安の内容を明確にして、
一つ一つ受け止めていくことです。
そうやって、ブロックに依存して
感じないで済ませていた諸々の統合が完了すれば、
ブロックはその役割を終えて、消そう消そうと
頑張らなくても、すっと消えていきます。
それがそこに、そのように存在しているという
事情を汲むことのできる眼差しを
自身の内に育むことは、
人間としての器の深さにつながる
とても大事な要素だと思います。
自分自身の内側に対して
こういう眼差しを向けられる人は、
外側の他者に対してもそれができます。
いつも苦虫を噛み潰したような顔で、
世間を斜に構えて見ている人は、
そのようでなければいられない
事情があるのであり、
もっと元気にはきはき受け答えすればいいのに、
と思うような、陰気な表情でぼそぼそしゃべる人は
そのようにしかできない内面の事情があるのです。
あるいは、いつも言い訳ばかりして
人の話を素直に聞かない人や、
人の粗探しばかりして皆に嫌われている人も、
その人なりの人生の歩みの中で、
抱えているものがあるんですよね。
頭ではわかっていても、
実際にそこに温かなまなざしを向けられるかどうかは、
自分自身が相手の中に見るのと同じ要素を
受け止められているかどうか、によります。
たとえば、自分の中の怒りを抑圧し、
切り捨てている人は、怒りを表現する人に
まともに向き合うことができません。
だから、その怒りの奥にある
とても傷ついた気持ちに気づくこともできないし、
寄り添って、適切に応答することもできません。
それができるのは、自身の怒りを
本当に受け止め、深く寄り添った人だけです。
まずは、自分自身の内なるブロックと
深く対話をしてみましょう。