人間、生きていれば色々な願望を抱き、
理想や目標に向かって努力したりします。
人知れず、コツコツ積み重ねた努力が
やがて実を結ぶこともあるでしょうし、
なかなか結ばずに、やきもきすることも
あります。
色々な方のそういったお話を伺っていて
その努力の方向性はなかなかに
厳しいのではないか、と思うことも
たまにあります。
最も多いのは、現在の自分を否定して
そうではない別の自分になろうと
努力されている方。
自分ではなかなか気づきにくいところ
なのかもしれませんが、個人的には、
こういうやり方は一番ドツボにハマりやすい
努力の仕方だと思っています。
たとえば、怒っている自分は良くない
と言って、内側に怒り狂う感情を抑圧し、
できるだけいつもニコニコしていよう
と頑張っている方。
多分、心も体もバキバキに固くなるでしょう。
そして、ニコニコしていたいにもかかわらず、
どうやってもその笑顔をかなぐり捨てて
怒りを爆発させずにはおかないような
出来事が起こってくる。
私の前職の上司なんかは、人から嫌われたくない
という思いが強い人だったので、できるだけ
温厚な人物でいようとする傾向のある人でしたが、
そういうわけか、その温厚な笑顔を怒りに
塗りつぶすような態度や失敗を
部下がやらかすんですね。
仕舞にその上司は「俺を怒らせないでくれ!」
って叫んでましたけど、
自分の中の怒りを否定すると、
否定された怒りの感情のカケラ君は
「ボクを認めてよ!」って、
自分の存在を主張し始めます。
「僕はここにいる!いないことにしないでよ!
在るがままの僕を受け入れて!」
って必死でメッセージを送るんですね。
そうして、抑圧したその感情と全く同じ質の
感情を味わうような出来事が起こってくるわけです。
だから、怒りを否定してニコニコしていよう
とすればするほど、怒らせられるような
状況を自分で引き寄せてしまうのです。
じゃぁどうすればいいのか?ですよね。
これもブログでは何度も書いてきてますが、
少なくとも、自分の中の気持ちをなかったことに
しないこと。否定しないこと。
そして、適切に責任を持った方法で
表現させてあげることが大事です。
自分自身のある側面を否定する人は、
あなた自身のその部分を否定してくる人に
苦しんだ経験があると思います。
たとえば親。
あなたは、親に「あなたの理想とは違う
かもしれないけれど、そんな私も
在るがままに愛してほしい」って
ずっと願っていたのではないでしょうか?
その願いは、気持ちのカケラ君も
同じなのです。
そして、あなたがカケラ君にやっていることは、
かつて親が、あなたにしていた態度と
同じなのです。
自分がされて深く傷つき、悲しみ、
未だに苦しんでいるかもしれないことを、
あなたは自分に対してやっている
というわけですね。
これ、わかるでしょうか?
でも、だって、怒りとかはよくないものでしょう?
だから、絶対ない方がいいはずよね?
ってあなたは思うかもしれません。
この見方が、親があなたを見ていた
その眼差しなのです。
存在していてはならない。
消えた方がいいもの。
それが無いあなたでいなさい。
少なくとも、私の前でそれは見せてはならない。
そんなメッセージを、親はずっと
送り続けていたのではないでしょうか?
これは、親に限らないですけれどね。
先生だったり、パートナーだったり、
上司だったり。
あなたが「無い方がいいもの」
とした自身の側面を、その人たちは
攻撃し、責め、排除しようとしてくるのです。
その人たちは、
あなた自身の「鏡」ですから、
あなたが自分にしているように、
接してくるだけです。
そういう人たちに好かれようと
どれだけニコニコしていようと、
その人たちはあなたの丸ごとを
受け入れてくれることは
決してないでしょう。
誰に嫌われることを恐れるよりも、
本当に恐れるべきは、
自分が自身を拒絶、否定することだと
私は思います。
いかなる自分の側面も、
否定しない。丸ごと受け止める。
地に足の着いた責任ある方法で、
この世界に表現する。
そういう自分である時、
カケラ君たちは自分を信頼し、慕ってくれます。
安心し、すさむことがありません。
決して自分たちは見捨てられることはない。
そう確信しているからです。
そんな風にカケラ君たちに信頼される
自分で在るとき、あなたは他の人たちからも
自然に慕われ、無理なく調和した
人間関係を築くようになります。
自分の一部を抑圧し、切り捨てて成り立つ
友好関係や調和って、もろいものです。
無理をした末に得られるものは、
それを維持するために、延々と
無理を続けなければいけません。
そういう状態が何十年続いたとして、
あなたは幸せでしょうか?
だから私はまず、外側の友好関係を築く前に、
自分自身との友好関係、信頼を築くことを
先にすべきだと思うのです。
あなたにとって自分は、信頼に足る存在でしょうか?
どんなに耳の痛い、都合の悪い本音も、
ちゃんと受け取ってあげられているでしょうか?
自分が最もつらい時、
自分を見捨てず、味方でいて、
自分から逃げ出さずにいるでしょうか?
よくよく自分との対話を怠らずにいましょう。