激烈な台風で、みなさま、
ご無事でしょうか?
被害に遭われた方、
心よりお見舞い申し上げます。
台風が去った後も、
まだすぐには気を抜けませんから
みなさま、どうぞお気をつけて
お過ごしくださいませ。
昨日は外出もできないし予定もなかったので、
祈りや瞑想をして過ごそうと思っていた
のですが、
瞑想はできるのに、不思議と祈ることが
できずにただ刻々と強くなる
雨風の音を聞いていました。
何かを考えようとしても
頭はしーんとして考えられないまま。
仕方がないので、後回しにしていた
セルフワークの宿題のテーマを
少しやってみることにしました。
責任転嫁のテーマです。
自分がこんな状態になったのは、
相手があんなこと、こんなことをしたからだ!
と、不愉快な気持ちとともに
相手を非難しているのでした。
「鏡」を使いながら、
責任転嫁しているもののエネルギーの
体感覚を取っていくと、
ハートの周辺に執拗に絡みつくような
エネルギーが捉えられました。
私たちはよく、一方的に相手から被害を
被っているのだととらえがちですが、
被害は被害者と加害者の間に、
何かしらの接点がなければ生じ得ません。
その「接点」に、それぞれの「意図」が
込められて触れているのであり、
一方だけに責任があるとは
私は考えないのですよね。
これは、被害者の方には
とても酷な捉え方だとは思いますが、
被害の種は、双方にあるのです。
これに例外はない、というのが
私の立ち位置です。
(異論はあるとは思いますが)
被害にまつわる感情を統合していく
プロセスでは、被害者と加害者の中に
共通して在る「種」の表と裏を
それぞれ見ていきます。
つまり、被害者と加害者は
同じものの裏と表なので、
自分がそのどちらかである時、
反対側も見ていくことで、
「被害」という出来事からシフトした
ポジションに、移行できるのです。
まずは、被害者としての自分の苦しみ、
痛みを受け止めていきます。
あいつのせいで!と思うときは、
自分の中の「種」はまるで見ていません。
たとえば、詐欺に遭ったとして、
それ自体は相手に法的責任など
もちろんあるでしょう。
けれど、なぜ詐欺に遭ったのか、
というところに、自分の中に
心の隙があったはずです。
ふわっと浮ついた欲を
引っかけられたわけですね。
そこを見ないで「アイツが全部悪い」
としてしまうと、この出来事から
得られるはずの学びが受け取れません。
ただ、この学びというのは
自分にも隙があった。これはマズかったから
次回からは気を付けよう、とか、
そう言うことではないのです。
その「浮ついた欲」の奥にある、
自分にはできないという無力感だったり
不足感、絶望感などまでを
見なければなりません。
そして次に相手の意識に入って、
カモとなった被害者を騙すときの
心情を掘り下げていきます。
相手の苦しみへの感受性や良心への極端な
分離と抑圧の奥には、やはり被害者と同じ
不足感や無力感、絶望感などがあるのです。
被害者と加害者が持っているものは、
このレベルまで見ると、ぴったりと
一致します。
ここに、紛れもなく同じものであるという
頭の思考ではない気づきが必要なのですね。
ここから逃げているがゆえの
「被害者」と「加害者」、
そして「被害」です。
だから、「同じもの」の裏と表なのですね。
これを、人間目線の善と悪で見るから、
気づきがなく、「被害」が両者を縛って
固定させてしまうのです。
被害者の苦しみは、単純に
「アイツのせい」なのではない、
ということを受け取るか否かが
苦しみを癒せるかどうかの分かれ目です。
認めないで、「アイツのせい」と言い続けると、
一時的には心が楽かもしれませんが、
大小は少なくありません。
自分を幸せいしていくはずの力を、
延々と恨みと憎しみにして
生きていくことになるかもしれないのです。
「被害」と「加害者」を見るたびに、
ひどく反応して、苦しみをことあるごとに
蘇らせてしまうでしょう。
ときに私たちは「被害」によって
深い傷を負い、生涯をその苦しみとともに
生きていくこともあります。
けれど、その「被害」を通して、
本当に深く深く自分に向き合ったなら、
それまでどうしても見ることのできなかった、
逃げ続けてきた何かを昇華させるチャンスに
変えていくこともできるのです。
特に、生涯背負い続けるような痛みを
受けるような出来事を人生に設定した人は、
それだけ魂の願いも深いと言えるかも
しれません。
もちろん、そういう傷を負った方にとっては
簡単に言えることではないでしょう。
それでもなお、人生はその悲劇に
必ず光の側面を内包させている
と私は確信しています。
このことは、加害者が人でなく天災の場合にも
受け入れ難い自身の要素を見ていく機会にする
という意味において、変わることはありません。
というわけで、私自身のセルフワークで
たどり着いた核心も、やはりまだ統合し切れていない
絶望感でした。
さてさて、肚を決めて取り掛かりますか。