人からの頼みごとを断れないとか、
誘いを受けるとそれほど気乗りがしなくても
応じてしまうとか、
その結果、楽しくなかったり
自分のキャパを越えるような仕事を
抱え込んでへとへとになっている人、
結構多いのではないでしょうか。
頼み事やお誘いだけではなく、
自分の責任領域を越えたものにまで
責任を負おうとして墓穴を掘るのも、
根っこでは一緒のパターンですね。
要は、境界線(バウンダリー)が
しっかり引けていないのです。
境界線というと、どこからが相手の領域で
どこまでが自分の領域なのか。
それを見分けるのが難しいという方が
多いのですが、
そこを見分けようとするならば、
そういう境界が見えるようになるとか
そういうところではなくて、それ以前に
できていなければいけないことがあります。
それができれば、どこからが相手で
どこまでが自分?っていうのは
自ずからわかるのですが、
それができない内に
境界線を探そうとするから
いつまでたっても境界線が引けないんですね。
で、何かできなければいけないのか
というと、
自分自身の責任を取る、
ということです。
自分の責任領域がわからなくちゃ
これはわからないでしょ、
と思われるかもしれませんけれど、
境界線がぐちゃぐちゃになっている人は
責任転嫁の傾向が強いことが多いです。
つまり、すぐに人や何かのせいにする
って言うことを意識、無意識的に
しょっちゅうやってるんですね。
少なくとも、これをやめることです。
無意識でしていることも多いでしょうけれど、
できるだけ意識して、気づいたらやめる
ということを続けてみましょう。
さらに、感情解放ワークの観点から言えば、
責任転嫁をするということは、そうすることで
感じるのを避けたい気持ちがあると捉えます。
人に悪く思われたくないとか、
孤独になりたくないとか。
こういう恐れを心の底で持っていると、
人に悪く思われそうになる出来事が起こったとき、
そう思われないように咄嗟に誤魔化したり
責任転嫁をしたり、してしまうのです。
だから、自分のことに責任を持つ、ということは
そこで避けようとしている気持ちを
自分でしっかり受け止めること
でもあるのです。
それができれば、咄嗟に責任転嫁をしたり
する必要はなくなります。
落ち着いて、堂々と自分自身でいられるでしょう。
そういうことができてやっと、自分に責任を持つ、
ということがどういうことかわかり、
そういう状態で改めて相手と向き合ってみれば、
相手が自分自身に責任をもって接している時と
そうではない時の違いがはっきりとわかるでしょう。
自分が責任を取っているからこそ、
相手が逃げている時は明確にわかります。
自分が逃げているときは、
どうやったってそこは見えませんから、
自分と相手の境界線がぼやけてくるのです。
嫌だな~って思いながらも
きっぱりとした態度に出られないのは、
嫌われて孤独になる恐れを引き受けられないから
だったりするんですね。
その恐れから逃げてる。
それを引き受ければ、恐れはなくなり、
突っぱねることも断ち切ることもできるわけです。
こういう恐れが「心の隙」になるのです。
人の境界線をやすやすと越えて侵入してくる人は、
誰であれば境界線を越えさせてくれるのか、
直感的に見分けられます。
要するに、この「心の隙」を嗅ぎ分けて
いるんですね。
こういう「隙」を持っている人は、
基本的には優しく「良い人」が多いです。
つまり、その表面に見える優しさが、
何かしらの恐れから来ているケースですね。
本当の愛と優しさを知っている人は、
手を出さずに見守ったり、突き放したりする
タイミングをちゃんと知っていて、
その人自身の学びを奪うことはしません。
表面的に現れている行動が一緒でも、
その本質は全く違います。
だから、容易く境界線を踏み越えられる人は、
まず自分自身の感情を受け止めることから
始めるべきなのです。
そういう状態が嫌なのであれば。
しっかり、自分という存在に地に足をつけて
生きようと思うのならば。
そして何より、自分自身に誇りと自尊心を
取り戻したいのなら。
自分から逃げている内は、どんなに着飾って
どんなパワーに溺れていようとも、
自分に真の誇りを持つことはできません。
健全に、自分を愛し、尊ぶことのできる
自分で在りましょう。