たまには、スピリチュアルらしく、
エネルギーのお話でもしてみます。笑
セッションではいつもクライアントさんの
体の中のエネルギーを色々見ているのですが、
抑圧された感情のエネルギーって、
周囲のエネルギーと違って独特の質感があります。
そこだけ分離しているというか、
異質な感じで周囲との交流がなく、
大体がしこりの様になっていることが多いですね。
(色々なケースはあります)
強いショックなどは、時間を止めて、
その当時のままの状態で保存されてたりします。
よくドラマなんかで悲劇のヒロインとかが
「私の心はあの時のまま、時間が止まっているの」
なんて台詞がありますが、
まさにあれは例えなんかじゃなく、
エネルギーから見ても、本当にその通りなのです。
感情解放ワークでは、呼吸を使って
そういうしこりのようになった感情のカケラ君に
命のエネルギーを送っていくわけですが、
こうしていくと、時間を止めてショック状態で
固まっていたカケラ君が、だんだんと緩んで
体で例えるなら、血色が良い状態のように
なっていきます。
そうしてやっと、文字通り
止まっていた時間が再び流れ始めるのです。
そうして癒しのプロセスが始まります。
このように、しこりのようになった
抑圧された感情のエネルギーが、
私たちの体の中にはたくさんあります。
大きなものも、小さなものも、
それぞれ相互に複雑につながり、絡み合いながら、
ある種の構造を作り出しているのです。
そうした感情のエネルギーが
体の中に留まってしまうのには
色々要因があって、
基本的には、先に挙げたように
ものすごくショックすぎて自分が受容できる
感情の絶対量をはるかに越えている場合、
緊急避難的に固めて分離して
自分を守っているのです。
その際に、
色々な逃避行動が絡んでくることがあって、
事実を認めずに出来事自体を無かったことにするとか、
言い訳をして自分の非を認めないとか、
自分の意識を体と心から切り離して逃避するとか、
まぁ色々なパターンがあります。
それらをすると、感情のエネルギーは
発生から収拾までの健全なプロセスを止められてしまい、
体の中で異物のようになって、
色々悪さをするようになるのです。
中には、この分離の過程で何かしら
外の力を借りているケースもあって、
ここで以前からたびたび書いてきている
スピリチュアルな契約や宣言、約束といった類の
封印がかかっていることもあります。
こういうものも、外の力を借りている
と言っても、その元は自分の意志なわけですから、
基本的には、自分が感情を分離させないで
受け止め、責任を取ることで
解除していくことは可能です。
けれど、そういう意志がない時は、
他者がどうやってもこういうものは
外れません。
本人がそれを必要としているからです。
頭だけで解除します、と言っても、
心の底ではまだ必要としているときも、
解除の宣言は不完全になり、
引っ掛かってしまいますね。
こういう場合は、その人にとっての必要性を
しっかり掘り下げて、それを必要としなくても
ちゃんと生きていける状態まで整えることが
カギになります。
その他、体の中にあるエネルギー的な異物
ということで取り上げると、
インプラントが入っている人も
結構います。
インプラントって言っても、歯じゃないですよ。笑
外部由来のエネルギー的な異物ですね。
これはそれぞれ、色々な意図があって
入るものなので一概に悪いもの、とは
私は思ってはいないのですが、
異物であるには違いはない、というスタンスです。
その時、その人にとっては欠かせないもの、
必要なものであることもあるし、
逆にあるとあまりよろしくないケースもあります。
だから、ケースバイケースでその由来と
そこにある理由を丁寧に掘り下げて見ていく
必要があると思っています。
そうしたインプラントが必要な状況を
深く見ていくと、
たとえば強い力が必要で
何かスピリチュアルな存在と契約して
インプラントを体の中に入れて力が使える
ようになっているとか、
あるいは、生きることが辛くて
人生から逃避しているときに、
「よからぬ存在」の甘い囁きで騙されるように
何かと引き換えに契約して入っている、
なんて例は結構あります。
いずれにしても、インプラントを入れて
自分を支えていることの根っこをよく見ることです。
前者のようなケースでも、なぜそんなにも
外部の力が必要なのか。
その動機に、たとえば自身の弱さからくる
逃避の要素があったとするならば、
本来はその弱さという要素に対峙するのが
先なのではないでしょうか。
そもそも、インプラントは異物であるがゆえに、
メリットもあれば、必ずデメリットもあります。
気づいていない人も多いけれど、
特に複数入れている人は、相互の干渉作用も
ないとは言えません。
人生の一時期、そういうものの助けを借りて
自分を支えることがあってもいいとは思います。
ただし、最終的には自身の力をしっかり使って
地に足をつけるのが健全なのではないかな
と、あくまで個人的な意見ですが、
そんな風に思います。