どうも。最近、LINEやメッセンジャーの
スタンプが「キャラ崩壊している」と言われた
KOUです。
(ヨシダナギさん風書き出し。
わかる人にだけわかる。爆)
さて。
昨日は1日なので月初めのご挨拶に地元の八幡様と
ご縁のある火の神様をお祭りした神社に
行ってきました。
そこでいつも祝詞をあげさせていただくのですが、
どうもこの日は気が乗らなくて、
どうせこんな私が祝詞をあげたところで、
神はさま受け取ってくださらないだろう
とか言う思いがしきりと湧いてきて、
何だか淋しい気持ちに勝手になっていました。
色々な神社にお参りさせていただいて、
この思いはしばしば湧いてくるのですが、
これがどこから来るんだろうと
見てみました。
良かれと思ってやったこと、
心を込めて行ったことが
受け取ってもらえない、非難される
という経験が、そう言えばあったなぁと
色々思い出されました。
その時は、とっさに傷ついた気持ちを
隠してふてくされてやり過ごした
と思うのですが、その奥では
すごく傷ついた気持ちがあったんですね。
傷ついてはいたのだけれど、
ちゃんとそれを認めてあげてませんでした。
それで、とても傷ついたし悲しかったし、
惨めでもあったその気持ちをしっかり
受け止め直して、さらに飲み込んだ言葉も
吐き出していきました。
そうして相手に入って、
どうしてそんな態度を取ったのか、
どんな気持ちでそうしたのかを見ていくと、
自分のために何かしてもらった、という事実に
ものすごく落ち着かない気持ちになっていました。
そうして、その動揺のままに、
きつい言葉で返してしまったようです。
要は、「受取下手」なんですね。
素直に喜べばいい場面で喜びを表現できない。
受け取ることへのものすごい抵抗感が
ガツっと体に入る瞬間がわかりました。
あ~、この感覚、覚えがあるなぁと。。。
こういう抵抗があると、豊かさのエネルギーが
通って行かなくて、はじかれてしまうんですね。
なんだ、随分取り組んできて通りは良くなった
と思っていたのに、思いっきり大きいしこりが
こんな死角にしっかりとはまっていたとは。
その人は、今現在は当時よりもマシにはなって、
少しは受け取れるようにもなってきているのですが、
素直に喜んでうけとっているというよりは、
そのしこりを思考でねじ伏せて
どうにかしようとしているように見えました。
だからとてもぎこちないし、
与えてくれるが側にとっても微妙なその反応に
やはり微妙な感覚を抱くのでした。
なんでそんなことになっているのかな~?
って見ていくと、強烈に喜びの感情が
抑圧されているのが見て取れました。
(お、私と一緒じゃん!と気づきます。笑)
さらに、なぜポジティブなはずの喜びが
抑圧されているのか、掘り下げていくと、
素直に喜んだ時に、それを馬鹿にされた
という体験があったようです。
あ~、私にもあるな~と思いつつ、
だから喜びを表現すると傷つくから嫌だ
という抑圧になっていたのだな~とわかりました。
人の喜びをけなすなんて、なんて趣味の悪い
人たちなんだろう、と思いましたが、
ひょっとして?と思って自身を掘り下げてみると、
同じ要素がありましたね~。
やっぱりどれもこれもが自分。(^^;
なぜ人の喜びをけなすのか。
その人の意識に入って見ました。
喜んでいる人を見ると、自分が惨めに感じるから。
つい蔑んで、自分のプライドを保とうと
してしまうのでした。
喜ぶ人、幸せそうな人を見て傷つき、
惨めさを感じている自分の気持ちを認め、
そのカケラ君をお迎えに行きました。
それらのカケラ君を抱きしめながら、
その奥に奥に潜っていくと、
根底にあったのは、神とわかり合えない
悲しみだったようです。
またしてもそこにたどり着くのか、
という思いでしたが、
今生での挫折もそこに関わっているし、
幾たびの人生でも諦めの蓋がありました。
ここはもう逃げちゃダメなとこだよね~ってことで、
蓋をこじ開けるようにして掘り下げていくと、
奥にあったのは物凄い怒りでした。
それも、ちょっとやそっとの怒りじゃなくて、
この怒りを表現したら憤死してしまう!
というくらいの怒りで、これゆえに私は
ず~っとこの怒りを抑圧してきたのでした。
これを、脳の血管がブチ切れない程度に
ちょっとずつ、圧力鍋の圧を抜くように
怒りを感じ、表現していきました。
(サイレントシャウトです)
そうしていく内に、自分でかけた色々な呪いの類
何かも浮上してきて、これもそのたびに解除。
ある程度まで解放出来たら、もう一度
神に向き合ってみて、どう感じるかを確認すると、
大分いい感じに向き合えるようになりました。
人の喜びをけなした人を見ると、
喜んでいる人を見てもけなさなくなり、
喜びを表現できなかった人は、
随分とくったくなく喜びを表現するように
なっているように見えました。
受取下手の要素をチェックしてみると、
こちらはもう一つ別の要素が絡んでいる
ようだったので、あともう少しですね。
何とも意地っ張りな私。
どうせ神様は私からのものなんて受け取ってくれない、
というその神様は、私自身の鏡でした。
引き続き、取り組んでいきます。