傷つくのって、誰だっていやですよね。
誰かの言葉や態度にグサッと来たり、
理想とはあまりにも違う自身の姿に
気づいてしまって打ちのめされたり。
人生、生きていれば、傷つかずに一生を終える
なんてことはあり得ません。
誰しも多かれ少なかれ、傷つきながら、
その傷に何とか折り合いをつけて
生きているものだと思います。
しばしば、そういう傷が
新しいチャレンジをするときに
恐れとなってフラッシュバックしたり、
自分の可能性を信じられなくさせたりして
行動を制限し、人生に何がしら影響を与えて
本当に生きたい人生から遠ざけてしまうことも
あるでしょう。
そうやって、生き辛さを感じるようになった時、
やはり打ちのめされ、傷ついたままのところに
きちんと手当てしてあげることは、
とても重要な意味を持ってくると思います。
肉体のように見えるところが明らかに
傷つき、腫れて異常が出ているなら
誰だってすぐに手当てしなくちゃ!ってなります。
でも、心は目に見えないので、
すぐにでも対処した方がいいような状態でも
気付かずに何だか調子が出ない、と思いながらも
どうしたら良いのかわからなくて放置しがちです。
セッションをしていて、クライアントさんの中に、
何年、何十年も昔のショックで固まったままの
気持ちのカケラ君が、時間を止めた状態で
浮上してくるのを見るたびに、
この方はこれを抱えて、これまでの人生を
歩んでいらしたのだなぁとしみじみ
感じるところがあるわけです。
中には、あまりにも辛すぎて、
痛みを感じる感覚をシャットダウンし、
厚い壁を築いて自分が傷ついているということすら
全くわからなくなっている方もあります。
緊急避難的にそういう状態にして
生き延びてきたわけですが、
あまりにも長いことそんな状態で生きてきたので、
通常はどういう状態だったか、すっかり
わからなくなっているわけですね。
それがデフォルトの状態になっていると、
人生はそれをベースに構築されていきますから、
それを本来の、のびのび感じられる状態に
戻していこうとしたら、
色々なことが根底から変わっていきます。
癒しというのは、そういう先のところまで含めた
プロセスなのですが、それに対して
ゴーサインが出せるかどうか、というところが
結構多くの方が二の足を踏む部分です。
辛い、生き辛い→楽になりたい→癒されたい
→でも自分が根底から変わってしまうのは恐い
→ブレーキをかける、または本格的な変容の手前で
足踏みをする
ってケースが多いですね。
まぁ、人それぞれのペースがあり選択があるので、
そこはご本人が決めていただければいいわけですが。
ただ、この選択を頭で考えてすると、
ややこしいことになって迷子になります。
恐くてもいいので、感じ続け、
感じたところから決断することが
非常に重要です。
感じることから逃げなければ、
少しずつでも受け止めて恐れを統合していけます。
そして、痛みのカケラ君たちに触れ、
癒してあげることができます。
すると、行く先に対する不安感が和らぎ、
できるかも?という感触を何となくでも
感じるようになります。
これが、変化することへの恐れを越えていく
カギになります。
だから、感じないままに決断しようとしても、
そこで固まってしまうだけ。感じ続けないと
行くにも引くにも、どうにもならなくなるのです。
ワークが迷走するのは、基本的に
感じないで考える時、と決まっています。
恐れを感じることは弱さではありません。
恐れを否定せず、受け止め、生きられるくらい、
その人はしなやかで強い、ということです。
恐れを感じることを恐れることこそが
弱さなのです。
そんな自分の弱さを認められたら、
その人はもう、「弱い人」ではありません。
懐深く、そんな弱さも受け入れられる
慈悲深い人になっているのです。
自分が本当に弱い人間かどうか、
弱さを抑圧している人は気づけません。
けれど、本当のところどうなのかを知る方法は
あります。
弱い人間、恐れている人を見ると、
イライラしたり怒りを感じる、
見下さずには居られない、
まともに向き合うことができない
といったことがあるなら、
あなたの中には弱さ、恐れがあるでしょう。
そうした弱い人、恐れている人を見ると、
自分の中の同じ要素が反応して、
いてもたってもいられなくなるからです。
自分の中のそういう要素を統合できている人は、
弱い人、恐れている人に寄り添い、
的確にそういう人をサポートできます。
訓練、修練にも色々あるけれど、
自分の感情をがっちり抑えたところで
動けるようになるよりも、
感情をリアルタイムで受け止めつつ
感覚を開いていられる訓練の方が
後々、面倒がないし、健全ではないかな、
と思います。
抑圧をすると、どうしても自分の内側に
分離が生じますからね。
これが、生きることへの苦しみの元
になっていることが多いですし、
やはり私はどうしてもそこに様々な不調和を見て
不健全さを感じてしまいます。
そういう意味で、自分自身に誠実で在ることは、
存在としての健全さの最も大切な基礎であると思います。