今日はお知らせから。
10月から各メニューの価格改定を発表していますが、
オリジナル感情解放セッションについて、
継続してお受けくださっているクライアントさんに
もう少し配慮したいな~という思いがあり、
思い切って割引きをさせていただくことにしました。
詳細はこちらのページをご覧ください。
なお、9月中のセッションの空きのお問合せを
頂いているのですが、まだ曜日とお時間によっては
多少空きがございます。
平日から埋まっていくことが多いので、
割と日曜日なんかがねらい目です。笑
21、28日の感情解放ワークショップ、
25日の特別講座も募集中ですのでこちらもぜひ。
今月の特別講座は恋愛、結婚にまつわるわだかまりを
取り上げていますが、夫婦関係に取り組む方も多く、
今までどうしても見られなかったパートナーの
側面に大きな気づきを得て、変化を感じて
いらっしゃるというご感想もいただいています。
(また近々ご感想をアップします)
この機会にすっきりしたい!という方は
ぜひどうぞ。↓
http://healing-gate.com/blog/seminner/supirityuarutokubetukouza26/
さて。
前置きが長くなりました。
夫婦関係や親子関係、仕事上の人間関係など、
特に嫌で嫌でたまらない!という人が
実は魂の学びの重要なキーパーソンってこと、
よくあります。
というか、ほぼそうなんですよね。
でも、あまりに嫌悪感や拒絶感が強すぎて、
また近すぎたりしてまともに見られない!
というケースも多いのですが、
成長したい!と口先でも言うならば、
そこは避けて通っちゃダメなところ
だと思います。
いや~、厳しいですね~。
気持ち悪いですよね~。
あんなの、ありえないですよね~。
ものすご~くよくわかります。
人間目線では、そういうクライアントさんの
お話を伺っていて、そりゃぁそうだよね~
って共感してしまうことも多いのですが、
でも魂の学びという視点から心を鬼にして見ると、
全く違った景色が見えてきます。
愚痴を聞いてもらってすっきりして
帰りたい、というだけならお友達にでも
聞いてもらえばいいわけですが、
サロンに見える方は、そういうことは
求めてないわけです。(と思ってます)
こんな嫌な思いをするのだったら、
転んでもただでは起きまい。
何かしら、必ず掴んで成長していくぞ!
とどこかで決意されている魂が、
自分ではどうしても気づけない、
受け入れ難いものに気づき、統合して
もう一段、懐深い器になろうと
サロンの門を叩かれるのでしょう。
その思いに応えるためにも、
そりゃぁそうだよね~って共感ばかり
してはいられません。
見たくない、受け入れたくないっていう
「鏡」に映った己の姿に気づけるように、
色々誘導したりエネルギーをかけたり
しながら、変容に導きます。
ある特定のタイプにものすごく嫌悪感を感じる場合、
間違いなくそこに「心の地雷」が埋まっています。
感情解放のセッションでやるのは、いわば
この「地雷」の撤去作業なんです。
嫌悪し、拒絶する要素こそ、必ず自分の中に
寸分たがわぬ同じ要素があります。
そんなものが自分の中に在るなんてことを
認め、本当に見てしまったら、
ものすごくショックでしょうし、
愕然として崩れていってしまう、
と表現される方も多いです。
でも、そうであるならば、ショックを受け、
崩れている自分が既に心の奥には
存在しているわけです。
ただ、そんな自分はいない!と言い張って、
見ないふりをしているだけですね。
そのショックを受け止め、崩れている自分を
お迎えに行く必要があるのです。
よく、弱さを認めたくないと嫌悪、拒絶している
人がいますが、その「強くありたい自分」は、
本当に「強い」と言えるのでしょうか?
自分の弱さを在るがままに見て、受け止められる
人の方が、本当は強いと言えないでしょうか?
弱さを認めるとショックを受けて崩れるような
人は、自分の弱さを受け入れる人よりも
強いのでしょうか?
よく考えてみることです。
自分のズルさ、卑怯なところを謙虚に認められる人は、
それを改めることもできるかもしれません。
でも、自分は正しい!ズルくもないし卑怯でもない!
と言い張る人は、そもそもそういう自分に
気づくこともすらず、改めることなど
とてもできないでしょう。
どちらが潔い人間の在り方でしょうか。
そういう要素があるかどうかまだ見えていなかった
としても、あるかもしれない、あるなら見てみよう
とニュートラルに向き合える人は、
あるはずがない!と頑なな人よりも、
人間の器としてはずっと懐深いものを
持っているのではないでしょうか。
人のある要素を激烈に批判、嫌悪する人は、
それだけその同じ要素を抱えているのだな、
と私は見ます。
その嫌悪する要素に、どれだけ誠実に
向き合っているのか。
そこに、自身の歪んだ恐れと痛みすら引き受けて、
光すら見いだせる眼差しを向けているかどうか。
私はそういう人の在り方を、じっと見ています。
そしてセッションでは、その方が
その光を見られるように、あらゆる手を尽くします。
見るかどうかは、
その方自身の選択ではありますけれどね。
最も深い闇の中に、信じられないような愛がある。
まさにその愛に、あなたが触れられるように。
何より、あなたがそれを望みますように。