このブログでは、感情解放ワークの世界観から
色々書いてきてるのですが、
書いてる私自身を含め、読んでくださっている方が
ここに書かれている内容をどれだけ自身の現実に
当てはめて理解、実践し、糧にされているだろうか
と、しばしば思います。
日々、色々な出来事が起こり、心がかき乱される時、
その出来事を丁寧に受け止め、
そこから何がしらの気づきを得るには、
感じることを抜きにしては成し得ません。
大抵、嫌なことが起こるとショックを受けて
傷ついたり、その反動で相手を非難し、
ジャッジメントのレッテルを貼って
溜飲を下げたり。
あるいは、バッサリの切り捨てて
無かったことにして「前向きに」
もっと素敵な未来に向かって邁進するとか、
自暴自棄になって自分の殻に閉じこもって
世捨て人みたいに生ける屍になるとか、
拗ねて世を怨むとか。
みたいなことをして何とか
心のバランスを取ろうとしていることが
多いのではないでしょうか。
中には、ここから何かを学び取ろうと
そのことについて色々内観しようとする人も
おられます。
ただ、そういう方たちの中でも多いのは、
出来事を分析して整理納得させて
頭で収めようとするケースです。
これは、いつも言いますが、
そのやり方では収まらないと思います。
内観は、思考では核心にはたどり着けませんし、
頭だけの浅い「わかった気になる」だけの
気づきになりがちです。
わかってはいても、無意識に感じることを
スルーして、考えちゃうんですよね。
特に一番大事なところでスルっと思考に
切り替えて、感じたつもりになっている。
ワークやってるのにいつまでも
完了しないって方はほぼこのケースでしょう。
特に「鏡」を見つめるとき、
そこに映るのはとても不愉快なもの
であるがゆえに、まず見つめること自体が
結構しんどいですよね。
でも、その「鏡」を見つめるしんどさも
受け止めながら、じ~っと見つめ続けるんです。
そのしんどさから逃げてしまうと、
気づきはやってきません。
大抵の人はここが持ちこたえられなくて
「鏡」がみられないか、しんどさを分離させて
感じないようにして頭で納得して
お茶を濁します。
「鏡」を見つめることは、
あ~、あれが自分なのねとか、
多分そうなんだろうなって「思う」ことが
気づきじゃありません。
明確に、「それをやっている自分を見る」ことです。
概念じゃなくて、文字通り「見る」んです。
それを見てしまったら、寸分の否定の余地もなく
はっきりとわかります。
だから、思考で納得させたり解釈する必要なんて、
一切ないんです。
それが「わかる」ということであり、
そこまで行ってないなら、わかってないんです。
これはもう、わかっているかいないか、
二つに一つしかありません。
かもしれなないとか、多分とか、
だと思うとかいう言葉は一切馴染みません。
もちろん、思い込むなんてのも論外です。
「鏡」を覗き込んでいて
上記のような言葉が出てきたら、
すべて却下です。
見るべきところをちゃんと見られていません。
その言葉を言った瞬間に、自分が逃げているのだと
認識してください。
見られないのは、苦しいからです。
あるいは、見てしまったときに
自分の中で起こることを恐れているからです。
その苦しみ、恐れをしかと受け止めると、
ちゃんと見られるようになります。
わからない、見えないというのはすべて逃避であり、
能力の問題ではないのです。
「鏡」の中の姿のように、
自分がまさにそれをしている瞬間が、
あなたの日常に必ずあるはずです。
私はあんなことしないわって切り捨てていても、
絶対にあるのです。例外はありません。
その否定のしようもない自分を明確に、
はっきりと見つけるまで、
この学びは卒業点をもらえません。
「鏡」はいつもクリアに映し出しています。
うすぼんやり、ニュアンスで見せている
ってことはありません。
この感覚がつかめるまでは、「鏡」の使い方が
理解できたとは言えないでしょう。
というわけで今週のテーマはこちら。
「鏡」を覗き込む苦しさを受け止めつつ、明確に自身の姿を見るよう最高最善に働きかける
参加される方は、
「無料遠隔ヒーリングの受け方」を
ご覧になり、 ご理解のうえ
2019年9月11日(水)17:00までに
メールまたはメールフォーム
にてお申し込み下さい。
同日20:00より順次働きかけを行っていきます。
ご感想はお申し込みフォームの
「無料遠隔ヒーリングのお申し込み・ご感想」
の件名を選択なさって第何回のご感想なのか
明記のうえ、送ってください。