今日は読者の方からこんなご質問をいただいたので、
私なりに思うところを書いてみたいと思います。
突然の質問ですみません
魂が本当に望んでいること
と言うのが今一つ解っていない
のかと感じますその声が何処から聴こえてくるのか
耳を塞いでいるから聞こえないのか
何度も問うていないから解らないのか
聴こえているけど言い訳をして
聞こえないことにしているのか
感じるより考えてしまっているのかお忙しいと思われますので、
もしお時間あればご教示下さい
人によって色々な答え方はあると思うのですが、
この方のこの文面を見て最初に感じたのは、
頭で考えすぎてしまって
感じることがお留守になっているのだろうな
ということでした。
「魂の望んでいること」っていうと、
なんだか大それたことのようにも
聞こえますが、
基本は日々の生活の中で差し出されたこと
(起こってきたこと)が何であれ、
丁寧に受け止めることがスタートです。
そうすると、自分の中で何かしらのニーズが
湧き起って来るでしょう。
誰かに何か言われた言葉やされた行為など、
生きていれば日々何かしらありますよね。
そのことによって、自分が何を感じたのか、
それに注意深く気づいて、適切に応答することです。
感情解放ワークをされているなら
そういうことは基本ですけれど、
差し出されたものに対して、えり好みをしない
というのも大切なポイントです。
たとえそれが辛く感じることだったり
とても不愉快な気持ちになることであっても、
反応して拒絶し、蓋をして相手をジャッジしたり
責めたり、といった逃避行為をしないこと。
辛いのならその辛さをしかと生きること。
嬉しいなら、その喜びを心底味わい、生きること。
そういうことを一つ一つ丁寧にやっていくと、
執着や拒絶という心の「歪み」が解けていきます。
「魂の望んでいること」っていうと、
それをしていればいつもご機嫌でいられるはず!
っていうようなイメージがあるかもしれませんが、
私はそうは思いません。
ときにはものすごくきつくて辛くて
ストレス一杯の状況に放り込まれることだって
あります。
でも、だからそれは「魂の望んでいること」
ではないんだってことではないんですね。
そして、こんな状況の自分は、本来在るべき
自分ではないんだってことでもありません。
今その状況にいる自分こそ、ある意味
まさに「魂の望んでいる自分」とも言えるのです。
でも、それを否定したとき、
「この自分ではない、もっと別の自分」
を求めるようになります。
ここで微妙なのは、こうしたい!って思う
その行動の動機に、否定があるときです。
こんな自分は嫌だから、こんな状況は辛いから、
違う自分になろうとすると、人生は途端に
空回りを始めます。
そうして、「魂の望んでいることがわからない」
って思うようになるのです。
目の前に明らかに差し出されているのに、
これじゃないって受け取り拒否をしてるんですね。
そりゃぁ、かみ合わなくなりますし、
迷子にもなります。
「魂の望んでいること」って、
自分はこれをすべきなんだ!って明確に、
はっきりとした形で捉えられることは
ほぼない、というかものすごく稀なこと
だろうと思います。
あくまで私の場合ですが。
日々の些細な出来事を丁寧に受け止め、
応答していく流れの中で、
あぁ、辛くても逃げちゃいけないんだな、とか
これで良かったんだってわかって来る。
そんなことの繰り返しをしていくと、
徐々により大きな流れの意図を何となく
感じられるようになっていく。
最初は自分がどこに向かっているのかも
さっぱりわからないし、正しいのかどうかも
わからないけれど、
どんなにストレスフルな状況が差し出されてきても、
その時自分にできる精一杯の応答をしていくと、
あるとき、ふっとトンネルを抜けたように
感じる時がやってきます。
そのとき、自身が歩んできた道のりの意味が
ようやく分かるのです。
最初から明確にその意味が分かってするのと、
わからないけれど夢中で応答していく歩みでは、
全くその意味合いが違ってくると思います。
魂は、しばしば後者の歩みをさせることが
ありますね。
試されている、とも言えるし、
そういう状況でしか磨き抜けないものがある
ということなんだと思います。
ご質問者の方は、多分今ご自身の状況に
多かれ少なかれ納得できない状況
なのではないでしょうか。
だから、「魂の望むこと」がわかって
それをすればもっと人生が輝くんじゃないか
と考えられたのではありませんか?
もしそうだとするならば、
そういう問い方では人生は輝かないだろう
と私は思います。
よく、ワクワクすることをすればいい!とか
言われますけれど、現状がとてもきつい状況
にある方は、
そもそもワクワクを感じる感覚が抑圧されてて
とても感じにくくなっていることも多いです。
だから余計に自分が何を望んでいるのかも
わからなくなってしまっているのですが、
そういう状況であればこそ、
安心も不安も絶望も悲しみも、えり好みせず
受け取っていくことが大切なのだと思います。
感じにくくなっている、という抑圧自体、
えり好みしてるってことですからね。
魂の導きは、全部を丸ごと受け取ったとき、
はじめてわかるものだと思うのです。
参考になりましたら幸いです。