引き続き自分の在り方を振り返る内観を
続けているのですが、
本当は10の力の内、7か8くらいで生きたい
って思っているのに(10でないところがミソかも。笑)
それをしたら受け入れられないだろうから
3か4くらいの自分でそこそこ生きている。
そんなところがあるな~と言うのに気づきました。
受け入れられないって、誰が言ったのか、
自分で勝手に恐れてセーブしているだけ
なんでしょうけれど、気付かずにやってましたね。
気づいてみると、そ~か~、
今までの自分って、3か4で、
そこそこ生きてたのかって唖然とします。
それでもそれなりに心地よくて、
これもこれで悪くない、とか感じてるんですね。
本当は違和感アリアリで窮屈なはずなのに、
そこは感覚を鈍くして調整しているのです。
自分で自分を小さくして、収めている。
なんていやらしい在り方なんだろう~。。。
それとも、7か8の力の自分の方が幻想で、
そんなものは実は無いんだろうか?
じ~っと自分の内を感じていると、
無い感じはなくて、ある気配の方を感じます。
あるんだけれど、それを出した時に
失うものが恐い。
たとえば、今の状態でジャストフィットしている
人間関係とか、仕事の在り方とか。
今の自分の在り方を変えていこうと思ったら、
それらを失うことを覚悟しなければならない。
その覚悟ができるのかどうかってことですね。
今まで猫でした。
でも、本当は豹でした!
それでもみんな、仲良くしてくれるかな?
みたいな恐さでしょうか。
体の大きさも気性も大分違うかもしれないけれど、
全くの別人になるわけじゃないはず。
でも、猫の目線の世界と豹の目線の世界とでは
やっぱり生きる世界が違ってきます。
そこで、もう一つ別の恐れもあることに
気づきました。
実は豹でした!って告白したあとで、
豹でいることが辛くなって、
やっぱり猫でした!ってことにならないかどうか。
こちらの恐れの方が、実は大きいのかも。
あまりにも長いこと猫として生きてきたので、
自分が豹であることを忘れていて、
やっと豹として生きようとしているのだけれど、
豹ってどんなんだっけ?ってわからなくなっている、
なんてことはないんだろうか?
豹として生きる苦労を受け止められるのかどうか
という命題が浮上してきたわけです。
猫で生きていようと豹で生きようと、
どちらもそれなりの苦労はあると思うんですよね。
でも、自分の選択にしっかりコミットしていないと、
進んだ先で後悔してしまいます。
二度と後戻りしない覚悟が要りますね。
逆に、ここまでスムーズに移行できなくて
逡巡しているということは、
豹で生きることの苦労の方が
強く意識されているわけなので、
その気の重さを受け止めてみます。
様々な「鏡」を覗いてみると、
繰り返し現れてくるのが、
現状に居着く気持ち。
そして、変わろうという意識や
覚悟のなさでした。
覚悟というと、勢いみたいに捉える人も
いるのかもしれませんが、そうではなく、
いつでも自分の在るべきポジションに
自分を変えていける腰の軽さ、
完全に今を生きて統合されているノイズのなさ
とでも表現したらいいでしょうか。
勢いだけじゃ、居着いている姿勢は
変わっていないので、結局動いた先で
また居着いてしまいますからね。
そこまで考えて、
居着かない在り方についてさらにに見ていくと、
居着いている在り方とそれは、根本的に
何かが違います。
居着いている心の在り方をしている人が
居着かない在り方に移行しようとすると、
ものすごくストレスがかかります。
このストレスを捉えてワークしてみると、
胸のあたりに浮上していた重苦しい
エネルギーが抜けて、軽やかになっていきました。
何となく、心の筋膜剥がしみたいなイメージかな?
筋膜剥がしも、最初は痛いけれど
剥がしていくほどに痛みは消えて
軽やかに、楽になっていきますものね。
在り方を変えようとしていくときに
心身のあちこちに浮上する抵抗の感覚は、
すべて、過去の恐れの記憶に戻づいています。
じ~っとそれ対峙して、そこに封じられた
心の痛みを生きればいいのです。
状況によって、数が多かったり、
何重にも折り重なるようにしてそういう
エネルギー的な障壁が出来上がっていたりしますが、
いずれも同じ対処の方法で、
順番に解いていけます。
しばらくそうやってワークを続けてみて、
手ごわかったエネルギー的な障壁も
随分緩んできたので、改めて「鏡」を
覗いてみると、
居着いていた人に、動き出せる気配が
感じられるくらいになりました。
何か、自分の在り方を変えていこうと思うとき、
一気に劇的な変化があって変わっていく、
というイメージを持っている人は多いですが、
このように、地道に少しずつ、木を削って
形を整えていくような作業の方が、
ずっと多かったりします。
大きな変容が起こるのは、そうした積み重ねの
結果であることがほとんどですね。
さて、私もまだしばらくこの作業を続けていく
必要がありそうです。
より様々なレベルで自分の納得のいく在り方に
移行していけるよう、取り組みを継続していきます。