毎日暑いですが、そんな最中に
色々、断捨離実行中です。
まずは随分前にもかなり断捨離して少なくなった
本棚の本にとりかかってみたのですが、
買ったはいいけれどもう5年も手つかずの本とか、
もう絶対読まないな~と思いつつ何となく
手元に残していた本とか、
要らないと思ったことはなかったけれど、
改めて手に取ってみると、多分今後も
読むことはないだろうと思える本とか。
以前整理したときから自分のバイブレーションも
変わって、手元に残しておきたい本との
波長が合わなくなってるのをひしひし感じました。
というわけで、ごっそり手放すことに。
そうして本棚からそれらの本を下ろして
空いたところに溢れていた本を収めたら、
アラすっきり!
全く違和感なく収まってしまいました。
残していた時は、いつか読むかも、
と未練たらたらだったのですが、
全然要らなかったんだな~と
改めて思いました。
処分するのも、ブックオフにもっていくより
Amazonで売った方が高く売れるんでしょうが
売れるまで持っておくのも気持ち悪いので
さっさと処分することにしました。
こういうことも大事かなと。
あともう一つ、もういい加減辟易してて
何の進展もないのだけれど、
高いお金を払ったし、何かここから
学びがあるはずだし、と思って
未練たらたらに放置していた講座も
退会することにしました。
これはもう私に必要ない!
という意思表示って、大事ですね。
必要ないものを抱え込んでいるほどに、
自分の中にノイズが蓄積していく。
それが純粋に自分自身を表現して
進んでいこうとするときに、
足を引っ張るんですよね。
あ~、やだやだ。
「これも何かの学びかも」っていう思考は
気づきのきっかけになりそうな言葉でも
あるけれど、
実際は何かの言い訳に使っていることの方が
多いかもしれません。
そうつぶやきつつ何か月も、何年も
何も学べないでいるのなら、これは必要ない!
って意思表示をする学びなんじゃないだろうか、
と自分を振り返って思いました。
学びなんて、一つじゃないし、
同じことを学ぶのにも色々な学び方が
あるわけですし、固執することはないかな、と。
むしろ、硬直状態で抱え込んでいる
時間やエネルギーがもったいない!
私はこんな風に学びたい!と、
もっと意思表示をして行こうと思いました。
そうしていくほどに、
自身の世界やエネルギーが純化されていきます。
ただ、ここでふと浮上してきた不安感があって、
「それでいいんだろうか?」と
思ってしまったんですね。
自分が純化されていくことに、
不安を感じていたのです。
これ、なぜなんだろうと見ていったら、
自分と言う存在は不完全だから、
もっと他の要素を取り入れたり
学んだりして幅を広げていかなければいけない
という思いがあるようでした。
これ、これまで数々の「不要なもの」に
手を出しては失敗してきたパターンにも
繋がっています。
つまり、純粋に自分の求めるものだけを
求めていたら、自分が至らぬ存在のまま
終わってしまう、と恐れているわけです。
人のセッションをやると結構出てくる構図
ですが、やっぱり自分にもまだまだ
あったんだな~と気づかされました。
で、そういう構図をじ~っと見ていくと、
ダメな自分、至らぬ自分イコール
何かが足りなかったんだと認識していて、
その「自分にはない何か」を探し回る
ということを繰り返しているようです。
でも、「自分にはない」というのは
本当なんだろうか?
私はいつも、他の人には
魂の導きは、自身の内からやって来る
と言っていたのではなかったか?
そう思って、改めて自身の内側に意識を向けたとき、
ぞくっとするような、微妙にワクワクするような
不思議な感覚が感じられました。
それは、砂漠で日の出を見るような、
静けさと神聖さに満ちた感覚でした。
私の人生の最良の道を示す羅針盤は、
ここにある。
戻ってくるべきところは、
誰が何と言おうと、ここなのでした。
それなのに、誰かに変に気を遣ったり
顔色をうかがったり、不安に駆り立てて
これに背を向けてしまっていたのでした。
自分自身の純度を高める覚悟
のようなものが必要なのだな、と思いました。
純粋に、この自分と言う存在を表現して
生きる覚悟。
極限まで何か外からの不純物を除いた
自分を表現すること。
それは、並大抵のことではないでしょうけれど、
挑戦しがいのあるチャレンジかもしれません。
この光を解き放ったら、
できる限り、この光に応えてこの世界で
その望みを実現させていったら、
私の人生はどんな風になるだろう?
と思った瞬間に、人生はとても神聖なものに
なるだろう、と思えました。
ぜひそんな人生を歩んでみよう。
そんな決意をした一日でした。