感じていることと、考えていることの区別って、
あなたはどのくらいできていると思いますか?
そもそも、日常を過ごしていて、
こんなことを意識することは、
ほぼないかもしれません。
けれど、自分に向き合って、
本当に自身の真実を生きていこうとしたときに、
このことはかなり大事な要素になってきます。
私のお伝えしている感情解放のセッションでは、
抑圧された感情のエネルギーを、
感じることで生き切り、解放していく
ということをします。
感情は、いくら考えても解放はできません。
ただそれを在るがままに生きることでしか、
完了しないのです。
けれど私たちはしばしば、感情について思考で考え、
整理納得させることで収めようとします。
でも、そんなことをしても数分後にはまた
同じようにモヤモヤした気持ちで同じことを
考えているでしょう。
だから、セッションではクライアントさんが
その感情のエネルギーにしかと触れ、
感じているのかどうかをとても重要視します。
感じているつもりで考えていたとしたら、
統合は不完全に終わるからです。
私はセッションの間、その人の意識が
感情のエネルギーに触れているかどうか、
チェックはしているのですが、
本人の認識と私の感じ取ったものが違うことが
しばしばあります。
私から見ると、明らかに感情には触れていないのに、
本人は感じていると言うときもあるし、
エネルギーは明らかにそこにあると私には見えても、
本人はないということもあります。
このズレがどこから来るのかと言うと、
もちろん私の読み違いということも
あるとは思いますが、
様々な「抑圧」がそのような認識に
してしまっていることが非常に多いです。
つまり、恐れがあるのに、恐れることを
自分に許していなければ、無意識に恐れを抑圧し、
無かったことにしてしまいますし、
鼻をつまんで匂いを嗅ぐがごとく、
感じる感覚を閉ざして感情のエネルギーから
距離を取っていることもあります。
それから、感じることを拒絶して
信念によって自分をがっちりコントロール
している方も、本当に自分が感じているものを
捉えることは難しくなります。
なぜなら、信念によって築き上げた自分像と
違う事実がもしあったとしたら、
それを見つけた瞬間に、無意識かつ自動的に、
信念に基づいた形に思考を重ねて
理想像に修正してしまうからです。
世間一般に、強い信念を持っていることは
美徳と捉えられることが多いですが、
信念から外れたものを在るがままに受容するには
非常に障害になることがあるんですね。
感情解放のセッションでは、
様々な問いかけをたくさんしていきますが、
「こうあるべき」という強い信念をもっている方ほど
問いかけに対して、感じることは素通りして、
信念から答えてくることが多いです。
ご本人は、信念=ハートで感じていること
という認識でいるようですが、
エネルギー的に見ると、信念がハートの真実に
ぴったり蓋をして抑圧になっているように
私には感じ取れるのです。
当然、このような状態でいくらワークをやっても、
未完了の感情の統合は起こりませんし、
しばしば、ワークの途中で意識が体から抜けて
飛んでしまう、一瞬眠ったようになってしまう
という状態が頻繁に起こったりします。
これは、感情を感じることへの抵抗の
典型的なパターンで、それだけ拒絶感が強い
ということなんですね。
抑圧した感情は、しばしば自身の信念とは正反対の
表現を求めてきます。
たとえば、品行方正でしっかり自己管理ができている
自分であるように、という信念が強い方は、
我儘放題で人に迷惑をかけまくるような人に対して
非常に強い拒絶感を持っていたりしますが、
実は拒否しているそういう要素を強烈に
心の内に抑圧していたりします。
拒絶感・抑圧が強いほど、そういう要素によって
傷ついた気持ちがある、ということなのですが、
解放のためには、本人がどれだけこの
傷ついた気持ちの存在を認めるか、ということと、
自分の信念から外れた姿を直視するか
ということがカギになります。
おそらく、その人は傷ついた気持ちを否定し、
無かったことにすることで今まで自身の
バランスを保って生きてきたのでしょうから、
それを認めることは、そのバランスを崩して
全く新たな在り方に移行することを意味します。
認めなければ無いで済んでいたものが、
済まなくなるわけです。
それを受け止めていくことも辛いでしょうし、
信念から外れた姿を直視する苦しみも
それなりにあるでしょう。
強い信念を持つ方は、
鋼のようなその意志力で己を律していますが、
今度はその意志力を、自身の感情を受容していく
ことに向けられると、素晴らしい変容に
繋がっていくだろうと思います。
人並み外れた意志力というギフトを、
自分にとってもこの世界にとっても
調和した力にしていけますように。