感情解放ワークでは、今この瞬間、
自分が感じているものを
じ~~~っと辿っていくと、
様々なストーリーが出てきます。
今生のインナーチャイルドだったり、
過去世のストーリーだったりするのですが、
それらにまつわる未完了の感情を
統合していくのがこのワークです。
そうしたストーリーの中でしばしば見かけるのが
生贄がテーマのストーリーです。
自分自身が生贄になったり、自分の子供など
大切な人が生贄にされたり、
あるいは自分自身がそうした儀式を執り行う
神官だったり、推進した人物の一人だったり。
様々な立ち位置で、こうした出来事に
関わっているストーリーが出てくることが
あるんですね。
ワークでは、自分だけではなく様々な登場人物の
意識の中に入ってそれぞれの感情を感じ、
受け止めていきますが、
なぜ他者の中に入ってその人の感情を受け止めるのか
と言えば、ひとえにそれは、自分自身の感情でもある
からです。
故に、
ストーリーの中のあらゆる人物の感情に触れて
統合していくことで、
自身の中の「生贄の構図」を構成している
様々な要素を根こそぎ統合してしまうわけです。
こうすると、生贄を必要とする心理的な構造
自体が自分の中から消えていくので、
そのストーリー自体も最終的には、
生贄を捧げない調和したストーリーに
変化していきます。
そうなると、もう生贄と言うテーマから
生まれていた加害者も被害者もいなくなるんですね。
どんなテーマでもそうなのですが、
そうした出来事が起こったということは、
様々な要素がそれを支えています。
それらの要素が残っている限り、
また同じことは繰り返されるのです。
だから、
それを支えるあらゆる要素である「種」を、
根こそぎ処理する必要があるのです。
1人でワークをされている方で
詰めが甘くなるのはこういうところなんですね。
深い恨みや悲しみなどがどっと出てきて
解放出来た~!って言うのは素晴らしいですが、
もうひと踏ん張りして、残っている種がないかどうか
確認しましょう。
自分が生贄になるのも、誰かを生贄にするのも、
それを望み、実行した人がいたわけです。
なぜ、彼らには生贄が「必要」だったのでしょう?
それをすることで、何を得ようとしましたか?
神の怒りと思える天災など、何か悪いことが
起こらないように、あるいは、起こってしまった
それらを鎮めるために、かもしれません。
もし悪いことが起こってしまったら、
豊かさが失われてしまったとしたら、
彼らはどんな気持ちになるのでしょうか?
それらを避けたいが故に、
彼らは自分たちが引き受けるべき感情を
自身で受け止めないで、生贄に負わせている
わけです。
無力感や諸々の苦しみ、恐怖、焦燥感、
虚しさ、悲しみ、などなど。
ワークでは、これらをそれぞれの登場人物の
意識に入って、統合していきます。
すると、生贄を捧げるのではない、
もっと別の方法でこの事態に対処するようになります。
また、生贄にされる側の感情もしっかり
受け止めていきましょう。
恐怖感、悲しみ、無力感、怒り、無念さ、
悔しさなどなど。
特に、生贄を必要とする神への怒りや恨み、憎しみ
などが強く入っているケースもあって、
これらがあると、なかなか神につながることが
できなかったり、霊性修養が深まらなかったり
ということがあります。
私自身も生贄ではないけれど、深い神への怒り、
恨みがあったので、頭ではわかっていても、
自分ではどうにもならないレベルで愛や神を
拒絶してしまう、ということが長く続いていました。
今では大分薄れていますが、
ひょっとしたらまだ残っているかもしれません。
まぁ、いずれにしてもこういう形での
生贄と言うのは健全ではありませんので、
ぜひクリアになさっておかれるのがいいと思います。
それから、自分から進んで生贄になるという
パターンもあるのですが、
これもそうすることによって
得ようとしているものが、
ある種の恐れを回避するための動機
になっているので、
自分が何から逃げているのか、
その根本に直面することが大切です。
その時代、その場面では尊いことのように
思えることでも、動機を見ると
案外エグいというか、単なる逃避ということも
結構ありますのでね。
行動の上っ面だけ見ていては、
そのことの真の価値は見えてこないのです。
自身の在り方を正すには、
動機を正すことです。
湧き起るどんな気持ちも引き受けて、
抑圧せず、この自分から離れずに
生き切るところからしか、
本当に後々まで納得できて、
あらゆる面で調和する在り方は
できないだろうと思います。
私たち(エゴ)は、いかに苦しみから逃避するか
ということにものすごくエネルギーを
かけています。
ワークは、これに対して、
いかに逃げてきた苦しみに気づき、
引き受けて行くか、ということをします。
だから、ありとあらゆるエゴの逃避のパターンを
見破っていく修練でもあります。
でもこれができるようになると、
人生はぐっと豊かに、楽しいものになっていきますよ。
あなたの人生が、本当に実のある
幸せの実感で満たされますように。