自分に向き合う必要があるのは重々わかっている。
でも、いざ向き合おうとすると、
どこにどう向き合ったらいいのか、
どうやったら向き合えるのかわからない。
という方、多いですね。
私が思うに、
自分に向き合うときのポイントは、
意識を向けるべきポイントがわかっていることと
意識の使い方の2点が重要かな、と思います。
何をどう見たらいいのかもわからなければ、
ただぼーっと何となくダラダラ考えていて、
けれども結局何の進展もないまま
グルグルしているだけになってしまいます。
見るべきポイントをしっかりとらえて、
どう見るかを知っておくと、
色々気づくことがあったり、
具体的な行動につなげていくことができます。
セッションでは、その次に来るのが
具体的に未完了の感情を受け止めていく
という段階なわけですが、
ここで重要なのが、意識の使い方です。
感情を受け止めていくのは、
概念ではありません。
実際にその生々しい感情のエネルギーに
触れていきます。
そうすると、嫌な感じがしたり、
色々な感情が湧き出てきます。
そういう状況の中で、
自分を見失わずに体とともに、
(つまり体感覚から離れずに)
そこに留まってそれを感じ、受け止められないと
いけないわけです。
もちろん、
それができるように丁寧に誘導していきますが、
意識の使い方が最初から結構しっかり
できる方もあれば、
ふわ~んと漠然とした状態で
離れずにいるべき感覚をすぐに見失ってしまう
方もあります。
傾向として、実際に何かしらの行を積んで
いらっしゃる方とか、ヨガをされている方などは
やはり意識の使い方が上手ですね。
あと、過去世でスピリチュアル関係のことを
やっていた方も、昔取った杵柄みたいな感じで
違和感なく入っていく方が多いです。
けれど、そういう過去世を持っていても
封印が強くかかっていると抵抗が出て、
逆に、見るべきところを開いていくのに
ものすごく大変になってしまう方もあります。
人によって、これはもう本当に色々ですけれど、
どうやって自分に向き合ったらいいのか、
何から手を付けたらいいのかわからない方は、
まずは、今感じている生き辛さが
なぜそうなっているのか、その仕組みを
ざっくりと理解することから入ると
良いのかも、と思います。
たとえば、どうして人間関係がうまくいかないのか、
仕事でいいところまで行くといつも失敗してしまう
のはなぜなのか、恋愛が進展しないのはなぜか、
などなど、
自分の何が引っ掛かっていて、
それをどうすればいいのかを知ることです。
感情解放ワークでは、その引き寄せや鏡の法則を
通して、そういうことを読み解いていきます。
ずっと、自分の不幸は誰かや何かのせいだと
信じてきたとするならば、いくらその現実に
向き合おうとしても、変わることはないでしょう。
そうではなく、その現実を作り上げてきたのは
まさに自分であることを本当に知って、
その自分に取り組んだとき、世界は変わっていきます。
責任転嫁していた人生の責任を、
自分で引き受けるわけですね。
ここから、人生が大きく転換していくのです。
ワークショップではその辺りの世界観を転換し、
また具体的に解説しています。
また、拙書「感情解放ワークブック」でも
解説していますので、興味のある方は
ぜひどうぞ。
それを押さえたうえで、
実際にその引っ掛かりを解消していくような
行動をするわけですね。
それが、感情解放ワークの実践の部分です。
頭で仕組みが分かっただけでどうにかなったと
錯覚してしまう人も多いですが、それでは
変わっていきません。
本当に自分の気持ちに気づけるようになって、
それを受け止め、適切に応答できる自分に
実際にならなければ、結局気持ちは未完了のまま、
いつまでもくすぶり続けます。
そうして、変に頭で納得させて
「大人な対応」をして「終わったこと」
にしてしまうのです。
でも、抑圧され続けている「気持ちのカケラ君」
からしたら、何にも変わっていないし、
依然として苦しいままなのに済んだことにされて、
そんなことでは絶対に許せないですよね。
だから、カケラ君たちは声をあげるのです。
「ちょっとちょっと、勝手に終わらせないでよ!
まだ終わってないから!ほら、まだこんなに
苦しいでしょ!」って感じに。
セッションでも、ご本人は終わったこと、
と認識していらっしゃることで、
エネルギーを読んでいくと、まだ未完了の気持ちが
しっかり残っている方は、結構いらっしゃいます。
頭で納得させて割り切るのは単に蓋をしているだけで
完了させたことにはならないのです。
その部分のエネルギーが硬直して分離し、
存在の中で機能不全になってしまいます。
けれど、本当に完了できたときは、
分離はなく、完全に調和してより活性化された
状態になっています。
わだかまりが一切なく、とても晴れやかなんですね。
それが、学びを卒業した証です。
よく、これは学びだったんだと言う人がいますが、
頭だけではまだ卒業ではありません。
そう言うなら、本当に統合させて、完了まで
もっていかないとね。
と、個人的には思うわけであります。