不当に得たものの代償

人間、生きていれば様々な欲望を抱きます。

それが人生を切り拓く原動力になったり、
大きな進歩をもたらす力にもなるのは事実で、
欲望を抱くこと自体は全く自然なこと
だと思います。

ただ、その欲望をいかに叶えるか、
というところで道を誤ることが多いのも、
事実だろうと思います。

思うに、なぜ道を誤るのか、という根本に、
欲望を抱いたが故に生じる苦しみを、
引き受けずに逃れようとするところで
心の隙や歪みが生じているような気がします。

そうして、この心の隙に、「良からぬもの」が
忍び寄るのです。

感情解放ワークで掘り下げをしていて、
現世、過去世問わずこうしたものとの
取引の現場を見ることがしばしばあります。

ワークを誘導していくとき、
私はその方のエネルギーを読みながら進めているので、
そうした取引による「契約」が入っていると、
ストーリーが出てくる前に大体は気づきます。

なので、当たりをつけたうえで、
「ひょっとしてあなたは何かと契約や取引の類を
しているだろうか?」といった具合に問いかける
わけですが、ほぼみなさん、Yesですね。

その相手がたちの悪いものであるほどに、
読み取ったエネルギーで感じるものも
かなりキツイ感じがするのですが、
独特の禍々しさがあります。

そういう契約のエネルギーの痕跡は、
セッションの中で掘り進めていく内に
わかるものもあれば、

お会いしてわずかな言葉を交わすか交わさないか
くらいではっきりわかるときもあります。

そういう契約が入っていると、
程度にもよりますが、かなりトラブルの多い
人生になる傾向はあるように思います。

何かをしようと思うと、そこに契約の不穏な
エネルギーが即座に絡んでくるので、

最初はうまくいっていても、
途中でトラブルが起こって最終的には
人間関係含めて後味の悪いものに
なったりしてしまうのですね。

あるいは、魂を吸い取られたかの如く、
だんだんと虚ろになっていくようなことも
あります。

見た目にも目が虚ろで生気がなく、
声にも覇気がない。どこか心ここに在らずな感じで
被害者意識が強く、責任転嫁の癖を持っている
のも特徴の一つです。

まぁ、必ずしもこれらの特徴が一致するから
良からぬものとの契約が入っているとも
言えないかもしれませんが、

そういう傾向が見られるのなら、
契約云々を除いても、用心すべき状態
ではあると思います。

で、自分にこういう傾向があって、
ばっちり契約が入っているとき、
どうしたらいいのか、ですね。

基本、契約は外せます。

ただし、外すための諸々の手順のすべてを
クリアすることが絶対条件です。

たとえば、ものすごく虐げられた人生で、
惨めさと屈辱感に耐え兼ね、絶対に見返してやる!
と決意して(ここまでは問題ありません)、

「〇〇〇に魂を売ってでも!」と思った瞬間に、
「それ」が「お!?待ってました!♡」と
振り向くわけです。

ケースバイケースで、ばっちり儀式なんかをして
契約をしてしまうときもあれば、
そう「思っただけ」の念の密度で入るときも
あります。

思う以上に簡単に入ってしまうんですね。

で、惨めさや苦しみといった苦痛を埋めるために
欲したものを、それらが与えてくれます。

地位、名誉、金、酒、女(男)などなど。。。

けれど、そうした輩が与えるやり方というのは、
必ず苦しみを伴います。

人から恨まれたり、自分が悪事に手を染めたことで
後ろめたさを感じたり、生涯、孤独と不安の中で
修羅の道を歩むか、気が狂うかなどといった
負の遺産がたっぷりと、もれなくついてくるのです。

そうして結局、最初に感じていた惨めさの
数倍の苦しみと負のカルマを負って、
死んでいくわけですね。

こういうものを外していくには、
契約によって得た利益のすべてを返納し、
自分が逃れようとした最初の苦しみの責任を
100%引き受けることです。

そうすることで、心の隙が消え、
利益を得ていないので支払うべき代償も必要なくなり
契約は成立しなくなることで外れるわけです。

要は、自分の苦しみの感情を、
在るがままに生きればよかったんですね。

圧倒され、飲み込まれたままでは
受け止めることは到底できなかった
かもしれませんが、

しっかり体と心を感じて、
命の呼吸を送りながらやれば、
私たちはどんな感情も、ちゃんと受け止めて
生きることはできます。

それができると、自分が人生の在るべき位置で
為すべきことを為し、正しく生きている、
という感覚が戻ってきます。

人生は、本当はシンプルなんですね。

自分の分限を受け入れて、
そこでズルをしないで誠実に、
自身の持てる力を精一杯発揮して生きることで
得られる幸せがあります。

栄耀栄華を極めることばかりが幸せ
なのではありません。

そうした人生を生きながら、何と虚しいことか
と言いながら死んでいった人生を、
私はどれだけ見たでしょう。

不当に得たものは、自分を幸せにはしません。
それは、自分の魂を蝕んでいく「毒」です。

どれだけ貧乏になろうと、惨めに戻ろうと、
手放してそこに帰り、しかと逃げてきたものを
受け止めるべきです。

そうして初めて、人として真っ当な人生に
戻ることができます。

それが嫌なら、魂を喰われていくだけですね。

あまりお勧めしない選択ですけれど。

さて、あなたの選択はいかに?

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