みんなが簡単にできてしまうことが、
自分にはものすごく難しかったり、
反対に、多くの人にはものすごく難しいことが
自分はいともたやすくできてしまったり、
ということ、ありますよね。
何かの特技でも考え方でも、
人それぞれ得意なことがあって、
苦手なことがある。
みんな、一様じゃないんです。
そんなのは当たり前なのだけれど、
そこに様々な感情を伴った人間ドラマが
展開されます。
劣等感だったり優越感だったり、
憧れ、嫉妬、無力感、淋しさ、孤独、
承認欲求や諦め、絶望などなど。
ときにそれがとても人生を生き辛くさせる
のですが、事実と、そこに絡みつく感情は
別のものとしっかり識別することは
大事かな、と思います。
そうでないと、事実を判断、ジャッジメント
したことから生まれる様々な思いや感情を
真実だと信じ込んでしまいます。
たとえば、ある人は計算がとても上手で、
クラスのだれよりも速く正確に
正解を導き出せるとします。
けれど、あなたは計算がとても苦手て、
その人を見るたびに劣等感を抱き、
惨めさと悲しみ、羨望と嫉妬の思いで
一杯になります。
そうして、自分はとても劣っている。
無能だ。価値がないとか思い始めてしまって、
それが真実だと信じ込んでしまう。
そんなことがあったとします。
でも、「自分は無能だ、価値がない」
というのは「自分をそう判断した」からで、
事実とは違います。
事実はただ、あの人は計算がうまくできるが
自分はできない、というだけのことです。
この違い、わかるでしょうか?
そうして、自分が無能だと信じ初め、
深くそのことが心に刻まれると、
その思いを代弁するかのように、
「お前は無能だ」という言葉を誰かが
浴びせてきたりするのです。
実は、相手からのそういった言葉は、
自分がその人に言わせているのであり、
その人が言う前に、既に自分の中に在った
思いだったりするわけです。
こう言うと、いや、自分はそんなことは
その人に言われるまで微塵も思ったことは
なかった、という方もたまにいらっしゃるのですが、
顕在意識でなくても、潜在意識のどこかには
「種」が必ずあるはずだと思います。
そういうことをあなたに言ってきた相手は、
あなたと同じ「種」をもっていて、
この場合はあなたに対して加害者として、
その種を刺激するような言動をしたわけです。
そして、あなたはその行為の被害者として
不快な思いをする。
こうした「被害」は、同じ「種」を持った者同士が
反対の役割をして裏と表を演じて成立しています。
だから、たとえ相手に言われたのが先に見えても、
そんな言葉を言われたということ自体が、
既にあなたの中に「種」があったことの
証明なのです。
ここでその被害を引き起こす「種」を除去するには
どうしたらいいのかというと、
感情解放ワークでは、
その出来事によって浮上させられる感情を
統合することをします。
つまり、劣等感や惨めさ、無力感などの感情を
受け止め、きちんと感じ切って完了させるのです。
相手は、あなたの中に、自分の中にもあるこうした
感情の数々を見て、反応して行為に及びます。
故に、あなたの中のこれらの感情が統合されていれば、
相手がそれに反応することもなくなるわけで、
そうなってはじめて、その出来事が起こるような
「種」が消えることになります。
この状態で、自分に劣等感や惨めさを感じさせた
あの計算が良くできる人をもう一度見てみると、
別段、悲しくも惨めでもなく、ただ単に事実だけを
見て、淡々と受け止められるようになるでしょう。
私たちは知らずに、単なる事実に様々な自身の内に
埋もれる感情をかぶせて、自分はダメだとか
結構イケてるとか、色々なフィルターをかけて
この世界を生きています。
それが人生を楽しく、生きやすいものにしているのなら
それもいいのでしょうが、大抵は自分で人生を
苦しいものにしていることが多いですね。
自分の中に在るそうしたフィルターを外すと、
他者についても変に偏見を持たずに
見られるようになるので、
相手のこともより深く見られるようになります。
たとえば、できない人を見て、自分の中の
諸々の惨めさなどの感情が統合されていなければ、
その人に対して怒りや不快感を感じるでしょう。
けれど、自分の中のそれらの感情が統合されていれば、
不快感に目を曇らせることなく、相手のその状態の
奥を見て、そこに適切に応答できるようになるのです。
つまり、
どうしてお前はそんなにできないんだ!と
イライラするのではなく、
何が問題でできずにいるんだろう?と
相手の心情や事情を深く見て、
そういうことなら、こう対処しよう!
という風に行動することができるんですね。
相手の中に見るものに反応してしまっているときは、
こういう行動はなかなかできません。
どんなに冷静でいよう、論理的に対処しよう
と思っても、反応してしまって知らずに
自身の言動にはそのイライラなどのトゲトゲな
エネルギーが乗ってしまいます。
この辺、感情のエネルギーの性質や処理の仕方を
知らないと、正しいことをしているつもりで
結局八つ当たりの責任転嫁になってしまうんですね。
抑圧ではなく、本当に自分の気持ちに対する
適切な応答の仕方を知ることは、
自身の生きる世界を平和で幸せなものにするためには
必須だと思います。
事実に、どんな感情のフィルターをかけているか、
注意深く見ていくと面白い気づきがあるでしょう。