「決して叶わぬ望み」を昇華させる

私たちは、常に何か望みを抱きながら
この人生を生きています。

それが日常のちょっとしたことだったり、
人生をかけた大きな望みだったり、
大きなものであれ小さなものであれ、
いずれにせよ何かを常に求めているのです。

そして、その望みに対する処し方も、
色々ありますね。

望みに対して、真っすぐに「これが欲しい!」って
表明して手に入れたり、本当は欲しいのに
欲しくない素振りをして見せたり、

そもそもそんな望みなんて存在しなかったかの如く、
切り捨てて、当人もそんな思い自体を思い出しもしない
なんてことすらあります。

書き出してみると、結構どぎつく聞こえますが、
珍しいことではありませんね。

そこまで封印するのにも、求めても求めても
叶わなかったいくつもの体験があったから
なのでしょう。

叶わない望みを抱き続けることほど
辛いことはありませんから、

そんな痛みを抱えて生きるくらいなら、
いっそそんな望みなど抱いたことはなかった
ことにした方が、どれだけ楽か。

そうして本当の願いを葬り去るのです。

そうすれば、あの恐ろしい苦しみを味わうことなく
人生を生きていける。

これも、生きていくために自分を守る手段
だったわけです。

ある意味、生き延びるという目的は達成されますね、

けれど、それだと自分に嘘をつくことになります。
そうやって望みを封印した人生は、嘘の人生に
なるのです。

嘘の人生に、生きる情熱は湧いてきません。
どんなに頑張っても、どこか心は空虚でしょう。

その嘘に何とか自分を押し込めるために、
自分を歪め、鈍くさせなければいけないので、
そういうひずみは心身の様々なレベルに
出てきます。

こういう状態から本当に自身の人生に戻って
くるには、あの望みの叶わない苦しみを受け止め、
昇華させることが必要です。

そうでないと、戻った途端に苦しみが襲ってくる
わけですから、とてもいられないでしょう。

なぜ望みが叶わなかったのか、
なぜそんなにも苦しかったのか、
できることはなかったのか、
飲み込んだ言葉はなかったか、

そういうところを、時間をさかのぼって
イメージワークで丁寧に生き直していくんですね。

どうにも終わりにできなかった諸々のわだかまりを、
ちゃんと終わらせてあげること。

そうすると、終わったところから始まりが始まる。

人生には様々な苦しみがありますが、
終わりにできなかったことで苦しむことって
結構たくさんあると思います。

執着からだったり、意地だったり、
弱さゆえだったりして、
私たちは終わらせるべきものを
終わらせることができなかったりするんですね。

でも、終わりにしようって思えたら、
いつでも終わりにすることはできます。

自分の心ひとつですね。

本当に終わりにするには、
完全に、「それがない人生を歩んでいる自分」
にならなくてはいけません。

そうでないと、形だけ終わらせても、
ずるずると未練が心の奥に残ってしまいます。

本当に終わりにするために、何をすればいいのか。

それは人それぞれです。

それとつながっているがゆえに支えられているものを
すべて自立できるようにするプロセスがあります。

それがなくても、健全に立っていられる自分になる
ということですね。

どんな抑圧も、誤魔化しも、歪みもなく、
健やかに、晴れ晴れと立っている自分になるのです。

そういう自分になれたとき、
本当に終わりにすることができます。

もう、苦しみを抱えて誤魔化しながら生きていた
自分とは、根本的に違う人間がそこに誕生
しているわけです。

すると、再びあの望みを思い返しても、
感じ方、捉え方が全く違ってくるでしょう。

決して叶わぬ望みを抱くことを通して、
深い苦しみを昇華させることができたわけですね。

人生では、しばしばこうした
「決して叶わぬ望み」というものを
抱くことがあります。

これは、その望みを叶えること自体が
計画なのではなくて、

このように望みを抱くことによって様々生じ、
起こることをしかと受け止めて生きること
の方が魂の計画であることがあるのです。

皮肉なものですが、
苦しみを受け止め、昇華できた分だけ、
私たちは飛躍的な成長を遂げます。

苦労は買ってでもしろ、という言葉がありますが、
苦労は漫然とただすればいいというわけではなくて、

自分という主体をしっかり持って、
体験したすべてを受け止めて、
自分の中で何ごとか、変容させなければ
いけません。

そうでないと、苦しい日々の中でこらえきれずに
心身はねじれ、歪んでしまうでしょう。

そういう体験の数々を受け止め、
自分を支えていく何かが必要なのです。

それは人によって様々でしょうが、
信仰だったり、何かしらの習い事であったり
生きがいだったりするのでしょう。

いずれにせよ、それは正しく精神を修養する
何かであるはずです。

現代人に必要なのは、そういう精神修養の習慣
ではないかな、と思います。

昔の人たちのあの骨太な気骨、気概、矜持というものは、
連綿と受け継がれ、練られてきた精神修養の賜物
であるような気がします。

今の私には到底及ばないなぁと思いつつ、
少しでも近づいていきたい、と
亀の歩みを進める今日この頃であります。

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