私たちは、何かストレスがかかると、
最初はぐっと我慢します。
人それぞれに、耐性が違うので、
堪え性がなくてすぐにダメ~!ってなる人も
いるでしょうし、我慢強くで限界を超えて
頑張ってしまう人もいるかもしれません。
でも、ストレスが我慢しきれなくなってくると、
今度は逃げ道を探して、そこに流れていきます。
構造物でも、一番弱いところに歪が出るように、
私たちの心の構造でもそうですし、
家族やコミュニティなど、複数の人間関係
の中でも、やっぱりその関係性の中の
一番弱いところに「問題」と見える何かが
あらわれてきます。
けれど、「問題」なのはその見えている部分
だけではなくて、実際はそのグループ全体が
適切な在り方をしていないからそうなっている
わけなので、
見えているところだけをどうにかしようとしても、
修正はできないでしょう。
却って、歪みを複雑に歪みでバランスさせるような
ことになってしまいかねません。
たとえば、家族の中でお子さんが問題行動を
起こすようになってしまったとか、
職場の中で、トラブルメーカーがいるとか、
パワハラが横行しているとか。
そこだけが問題じゃないんですよね。
大きな目で見れば、社会で日々起こる犯罪もまた、
その犯罪を越した人だけが問題なのではなく、
社会の構造的な問題だとも言えるわけです。
だから、
トラブルメーカーや犯罪者がいなくなれば
平和になるっていうのは多分違っていて、
たとえ彼らが居なくなってもまた、
別の人が同じような問題を起こすように
なるかもしれません。
歪は、一番弱いところを直撃するので、
持ちこたえられる人は、一見何の問題も
ないように見えますが、
実は、弱い人が全体の歪みを一手に引き受けて
いるがゆえに、そうでない人が無事なように
済んでいるという側面もあると思います。
近年、様々な格差が拡大していると言われますが、
それは、歪みが大きくなっていることの表れ
なのではないでしょうか。
歪みがなければ、みんなが均等に
負うべきものを負うので、誰かに極端に
負担が偏るということはありません。
人並み以上に負担を背負っている弱きものへの
眼差しが、もっと注がれるべきなんだろうな
と思います。
社会は、私たち一人一人の心の構造の表われです。
社会が弱者に厳しいのであれば、
それは私たち自身の内側で、
そういう構造がある、ということを意味します。
たとえば、自分自身の中の
能力が劣るとか、容姿が美しくないとか、
体が弱いとか、一般に歓迎されないような要素
に対して、すごく厳しい態度で断罪しているとか。
そういう側面を責め、切り捨て、そうでない自分に
なろうとするほどに、心は苦しく、社会は
冷酷に感じられるでしょう。
では、どうすればいいのかと言えば、
自身のそういう要素に温かなまなざしを向け、
心を寄せ続ける態度をとることで、
人生はぐっと生きやすくなっていきます。
自分で自分を責めないので楽になる、
という以上に、鏡の法則を通して、
自分が自身にしているように、
他者からもされるからですね。
つまり、自分が自身を大切に、
思いやりを持って接し、
決して見捨てないのであれば、
他者があなたを見捨てることはないのです。
誰かに見捨てられたことがあるのなら、
それは自分が自身を見捨てているからです。
そして、その人が自分を見捨てた動機は、
まさに自分が自身を見捨てている動機と
ぴったりと一致しているでしょう。
足手まといになるからとか、
そういう要素を持っていると、
世間から変な目で見られるから嫌だとか、
かつて自分を見捨てた人が何故に
自分を見捨てたのか、と問うてみれば、
多分色々心当たりはあると思います。
そんな風に、今まで忌み嫌い、憎んでさえいた
自身の要素に、存在する権利を認め、尊重し、
思いやりと愛の態度で接していくと、
常に緩むことのなかった芯の緊張が
ホッと緩んだりします。
自分の心の内側でこういうことができると、
今度は外側に見る自身のその要素を映す存在にも
寛容に、温かな態度で接することができるように
なります。
弱く見える人、劣っているように見える人は
あなたがそうなりたくないと思っている恐れを
間近で見せてくれるので、あなたの心は
穏やかでいられないのです。
翻って、身近な人間関係の中で、
心穏やかでいられない人がいる場合は、
その人こそが、自身の成長のヒントを差し出して
くれています。
両親や、子供や、パートナーとの関係性に悩む人は
多いですが、その関係性が切れぬものであるほどに、
あなたの魂はその課題を越えていくことを
切望しているのだと思います。
つまり、わざわざ切れない縁のところに
課題を設定して、絶対に逃げないように
しているわけですから。
実にありがたいことですね。笑
弱きものの発するサインを決して無視しないように。
その声に応答することは、自分自身を健全に
生かすために必須です。
逃げていればやり過ごせるものではないし、
蓋をしていれば静かになって、
なくなるというものでもありません。
弱きものの声を大事にすることこそ、
自身の生きる世界を平和にする鍵である、
と心得るように。