その時の自分にはもうこれ以上無理~!
っていうことでも、もうちょっと
頑張ってみた方がいいってことも
あるんだな~と思うことがありました。
最近、あることで「もう無理!」って
思ったことがあり、
その日の朝には、お断りすることを
決めていたのですが、
それはいつでもできるから、
まずは自分のいっぱいいっぱいの気持ちを
受け止めてみようと思ってワークしたら、
少し落ち着いたので様子を見ることにしました。
でも気持ちはまだ、思いっきり放り投げて
逃げる方に傾いていました。
翌日、ちょうど親しくさせていただいている
友人たちに会う機会があったので、
この二つの選択のエネルギーを感じて
見てもらうことにしました。
以前、あるヒーラーさんに教えていただいた
やり方で、
内容は伏せたまま、「あること」とだけ伝えます。
そうして、自分の中でだけ一つ目の選択はこれ、
二つ目はこれ、と決めておいて、
一つ目はこんな感じ、二つ目はこれね、
と言って、これも内容は伝えないで
エネルギーだけ感じてもらうのです。
で、それぞれ友人たちが感じ取ったエネルギーを
聞いてみました。
すると、速攻で2つ目の選択の方が
明るい感じがする!と異口同音に
答えてくれました。
私はすごく意外だったのですが、
その選択は、もう少し我慢して続けてみる、
ということでした。
自分の気持ちとしては、すぐにやめた方が
気持ちは楽でした。でも確かにそれだとかなり
しこりは残る感じです。
続けるとなると、しばらくは重苦しいエネルギーと
格闘しなければならず、それが嫌だな~と
思っていたのです。
でも、どうやら一時の苦しさに惑わされずに
もう少しこの学びを続けて、何かを掴み取っていく
ことが今は大事、ということのようです。
悩んだときは、こんな風に信頼できる
お友達に「感じて」みてもらうっていうのも
すごく参考になりますね。
このやり方だと変にエゴや先入観が入る余地が
ないので、より純粋にエネルギーを
見てもらえるのでお勧めです。(^^)
その出来事では、
相手の強引なやり方にほとほと嫌気がさして、
もう声を聞くのも嫌!というくらいに
なっていたんですね。
(まぁこれも鏡なんでしょうけれど。。。)
面と向かって言ってもきっと受け付けずに
倍返しで帰ってくるイメージしかなかったので、
それも面倒だし私は黙るしかありませんでした。
(「面倒だ」と思うのも感情の蓋です)
なので、私は飲み込んだ言葉をイメージワークで
言いたい放題、あなたのここが嫌だ、もっと
こうしてほしい、ということを吐き出しました。
それと同時に、自分が本当はどうしたいのか、
というのも出てきました。
本当は喧嘩したいわけじゃないし、
もっと率直に意見交換をしていい関係を築き、
互いにシフトしていきたかったのです。
相手のやり方にイライラしていた時には
出てこなかった思いだけれど、
私は本当はそうしたかったのか、と
改めて気づきました。
やろうと思えばできるはず。
そういう感覚もあり、すぐに学びの機会を
放り投げてしまうのはもったいないな、
という気もしました。
ここは忍耐強く、もうちょっと自分にできることを
試行錯誤して見よう。最終通告を出すのは
それからでも十分にできる、と思い直しました。
一時の感情でちゃぶ台返しをするのは
短絡的ですね。
状況は自分と相手との関係性の中で起こっている
わけですから、自分だけのせいでもないし、
相手だけのせいでもないのです。
苦しいけれど、そこをこらえて、
自分の中の要因を見て取れるように。
そして、自分の中のものには自分で対処できる
わけですから、まずは自分の領域のことを
すべきですよね。
そうすれば、状況に対する自分の感じ方が
変わります。
私がちょっとだけワークをして、
いっぱいいっぱいだったのをこらえられるように
なったように。
すると、関係性も変化していきます。
今回、まだ私は自分にできることを
やり切ってませんから、まずはそこをもう少し
詰めてみようと思います。
久しぶりにこんなに相性の悪い人に出会ったので、
良い学びですね。
そう言えば、私は最初からそれが分かったうえで、
コンタクトしたことを思い出しました。
自分の限界を越えたい。それが動機だったのです。
すっかり忘れてました(^^;
苦しさの中で、こんな苦しい思いをするのは
訳が分からない。こんな思いで人生の時間を
無駄にするのはもったいない!
とかなんとか、もっともらしい言い訳をして
逃げるところでした。
(まぁ、そういう選択もアリですけれどね。
今回は違いました)
技術を身につけるとかの表面的な目的はありますが、
それよりも魂の学びというテーマにフォーカスしたとき
今の状況を別の視点で捉えることもできるな、
と改めて気づきました。
もっと自由な視点でものごとを捉えていい。
いつの間にか、自分に変な制限をかけていたことに
気づけました。
さてさて、どこまで粘れるか。
学びをもっと、遊んでみよう。
そんな風に感じているところです。