日々、色々なことをつらつらと考えるのですが、
最近よく思うことの一つが、
どこからが自分が本当に望んでいることで、
何が刷り込まれた願望なんだろう?
ということ。
私たちは、生きていく中で様々な存在から
ものすごくたくさんの価値観やら常識やらを
知らず知らずに刷り込まれてきています。
それが、親だったり先生だったりの
身近な大人からの躾や道徳教育などもあれば、
テレビや雑誌、ネットに流れる広告など、
ある意図を持った欲求を私たちの心に掻き立てる
刷り込みもあります。
消費行動を促す広告は、
こういうのが幸せなんだよ、
美しいだろう、素晴らしいと思わないか?
君も、こうなりたいだろう?
こんなものが欲しいだろう。
そうやって、様々な商品を売るわけですね。
つまり、
こういう情報に無意識にさらされていれば、
私たちは無意識に、欲しくなかったものも
欲しがるようになる、ということ。
マーケテイングなんかを学べば
100年以上も前からの手法が今もそのまま
変わらずに使われているのに
すぐに気づくでしょう。
そういう手法の中には、消費者へのアプローチの
段階として、「教化」というのがあって、
商品の価値がいかに素晴らしいものなのか、
というのを教育する段階があるんですね。
私たちは、新商品が出てきたときに、
それがどんな価値があるのか知りません。
それだと商品は売れませんから、
それが私たちにとって、どんな風に便利なのかとか
それを使うとどんな気持ちになれるのかとかの
良いイメージを持たせて、欲しがらせるわけです。
これ自体が悪というわけではないのでしょうが、
よ~くよ~く自分の心に正直になって
本当にこれ、要るのかな?と確かめていくと、
ものすごく多くのものが、
本当はそれほど必要なかったりします。
これがないと生きていけない!
と信じていたものも、
その前提条件まで疑って、改めて考えてみると、
それ自体が違ってたりして、
無くても全然平気だったとか。
そう言うのに気づいてしまうと、
バタバタとそれまでの価値観がひっくり返って、
人生がどんどんシンプルになっていきます。
できないって思っていたけれど、
別のやり方を探してみたら、あっさり可能だと
わかってしまったとかね。
結局、消費行動をさせたい存在の価値観の中で、
消費するにはお金がいる。
だからお金を稼がなくちゃいけない。
たくさんお金を稼いで、もっと贅沢をしよう、
もっと消費しよう。
そんな風にコントロールされて、
まるでマウスが車輪のおもちゃの中を
走るような人生に駆り立てられているような。
商品ばかりではなく、
たとえばパートナーシップなんかも
どうなんだろう?と思っているところで。
人それぞれに、様々な形があるにせよ、
夢のような素敵なパートナーシップを
築いている人たちを見れば、
それはそれで素敵だな~と思いますが、
でも、そもそも私は本当にそれを
望んでいるんだろうか?
なんて疑問が湧いてきたりしています。
私はこれまで、お付き合いした人は
いましたけれど、結婚はしたことがありません。
いつかは結婚した方がいいのかな、
なんて漠然と思っていましたが、
よ~くよ~く自分の心の奥を探ってみると、
実はあんまり望んでいないようでした。笑
それが心理的なトラウマなどから来る
いわゆるブロック故なのか、
結構取り組んでもみましたけれど、
未だによくわかりません。
あれほど求めていたと思っていた
目覚めや悟りについても、
実はもうどうでもいいというか、
それを追うこと自体、違う気がして
今はちょっと距離を置いています。
(でも、レナードの教え自体は、
大切なものという位置づけではあります)
そういう、大前提のように受け入れていた
価値観や世界観をいったんわきに置いて、
もう一度自分の欲するもの、
大切にしたいものは何だろう?
と改めてチェックし直しているところです。
お金も目覚めもパートナーシップも、
実は刷り込まれた「素晴らしい人生」の概念
だったのかもしれません。
私たちは、本当に本当に
自分の魂が望んでいることにしか、
情熱を燃やせないのです。
今まで、そういうものに今一つ
情熱が湧かず空回りしていたのは、
借り物の願望だったからかもしれませんね。
もっともっと深く
自分という存在を突き詰めて
見つめていかねばならない。
今、そんな思いでいます。
お前は何者なのだ?
何に喜びを感じ、
何を愛し、
何を憎み、
何を悲しむのか。
自分って、本当に興味の尽きない、
不可思議な存在ですね。