セッションでは様々なテーマを掘り下げていきますが、
表面的に現れている問題が恋愛や親子関係、
仕事や様々な願望実現のいずれであろうとも、
根っこは必ずと言っていいほど、
自分自身の在り方の根っこがしっかりと
地に足をつけていられているかどうか、
また自分自身の源の力を感じ、
そこから湧き上がる導きを信頼できているかどうか
といったところにたどり着くように思います。
そこが揺らいで不確かでいると、
何を軸にして生きていくかがわからず、
何か自分以外のものに依存して
生きていかなければならなくなるからです。
だから私は、自身に背を向けている人に対して
自分に向き直って断絶した関係性を修復するよう
様々な働きかけをします。
けれど中には、そうした内なる声に
つながっていくことをひどく恐れる人もいます。
エゴを越えた力につながっていくことを、
自分がわけのわからない力に支配されて、
望まないことを無理やりさせられる、
みたいなイメージでとられるようです。
こうした「コントロールされる恐れ」は、
内なる声に対してばかりではなく、
誰か特定の他者に投影されることもあります。
いずれにせよ、支配やコントロール
という要素に対して反応するということは、
実は自分が自身に対して、自分が恐れている
まさにそういうコントロールをしている
というサインでもあります。
つまり、嫌なことを無理やりさせられる、
という恐れを持つ人は、
自分が自身に対してそういうことを
しているといういことなんですね。
そのことに無自覚なので、
自身の現実の様々なところで
自分がやっていることを他者に投影するのです。
だから、そういう人がいかに環境を変え、
人間関係を変えたところで、
移動した先でまた同じような
支配とコントロールのストーリーを
再現してしまうことが多いのです。
種は自分の中にあるので、
自分の在り方を変えなければ
どこにいっても種は芽吹いてしまうわけですね。
なぜそんなにも自分を支配、コントロール
しなければならないのか、と掘り下げていけば、
そこには例外なく「思い通りにしたい」
という強い思いと、その奥に
「思い通りにならないことへの恐れ」があります。
なぜ思い通りにならないのが恐いのかと言えば、
思い通りにならなかったときに味わう
失望感や絶望、悲しみ、無力感を
受け止めることができていないからです。
そうやって、徹底的に自分が味わいたくないものを
拒絶するために、絶対に思うようになってほしい、
思うようにならなければいけない、ということで
支配とコントロールを強烈に強めていきます。
けれど、そうすればするほど、人生は硬直し、
望んでいた世界からは遠のいていきます。
なぜなら、人は失敗や思うようにならないことを
通して気づき、軌道修正したりするものなので、
気づきもなく、軌道修正もできないまま、
ガチガチに固まった頭で思い込んだ道を
猪突猛進していきます。
どれだけ忠告されてもお知らせが来ても、
「都合の悪い」声はスルーして、
耳に心地よい情報しか受け入れません。
これは極端なケースかもしれませんが、
そういう人は、徹底的に現実を思い通りに
するために、自分を「矯正」しようとします。
こうなると、深い霊性の内なる声は届かず、
エゴでエゴをねじ伏せるような、
果てしない自分との闘いの様相を見せていきます。
こうなると、取り組みをすればするほど
迷走し、苦しさは増していくでしょう。
これだけ自分に向き合っているのに、
どうして良くならないんだろう?
と疑問に思いながらも、止めることができない。
そんなスパイラルにはまっていきます。
私はサロンに見える方にはよく、
「自分自身と戦ってはならない」ということを
お伝えしています。
自分と戦うとき、戦っているのはエゴで、
敵もエゴなのです。
エゴはエゴでねじ伏せることもできませんし、
エゴが消えることもありません。
これはよくよく心しておくべきことです。
人生を調和に導けるのは、エゴではありません。
だから、エゴとの正しい関係性を築きながら、
内なる力の源に心を澄まし、導きに耳を
傾けるのです。
願望実現の側面にばかりフォーカスしていると
陥るであろう落とし穴は、まさにここなのですね。
支配されることへの恐れを抱く人は、
よくよくご自身の心を振り返ってみることです。