昨日はスピリチュアル特別講座⑲
「変化することへの恐れを越えて、
新たな自分に生まれ直していくためのワーク」
でした。
雪模様のお天気の中、ご参加くださった方、
ありがとうございました。
たくさんの変化していくことへの
恐れや不安、罪悪感などのブレーキ要素に
徹底的に取り組んだ一日となりました。
いや~、なかなか濃かったですね。(^^)
人によって、ブレーキとなる要素は様々ですが、
それを認識してしまうと、ますます
進みたい方向に進めなくなってしまう気がして
蓋をして見ないことにしている人、
結構いるんじゃないでしょうか。
でもね~、それだと空回りして、結局
焦りと不安の中でエネルギーを浪費するだけで
余計に進めなくなってしまうんですよね。
だから、進めなくなっているときほど、
見たくない要素にしっかり向き合うことが
大切です。
見ることで、たとえ一時的に混乱し、
大変なことがあったとしても、
しっかり肚を据えて取り組めば、
そのことで身につく力やご縁があったり
するんですよね。
しかもそれが着実に望む方向への鍵に
なっていたりもする。
目標に到達しさえすればいい、というのではなく、
人生のプログラムにとっては、むしろ
途中の体験そのものの方がずっと大事というか、
それが目的だったりするわけです。
たとえば、いつかブロードウェイの舞台を
踏む夢を持っている人がいたとします。
日々懸命に練習に励むけれど、
実力はまだまだというときに、
テレビの企画か何かでこの人の前に突然
「あなたの夢を番組で叶えてあげます!」
とか言って、お金でブロードウェイを貸し切り、
周辺の役者も観客も揃えて舞台に立たせてあげた
とします。
こうして憧れの舞台に立つことはできたけれど、
さて、この人は満足して「私の夢は叶った!」
と言うでしょうか?
まぁ、ある程度刺激にはなるでしょうけれど、
多分、今度こそは自分の実力で舞台に立てるように
って「本当の夢」の糧にするかもしれませんね。
何が言いたいのかと言うと、
魂は、「形だけ整っていれば良し」
とはしないだろうということです。
その形に至ったときに、
「何かしらの内側の目標を達成した自分」
でありたいのだろうと思うのです。
私たちはしばしば、目標達成のスローガンの前に
プロセスをおろそかにしがちですが、
「プロセス」と思える今この一瞬一瞬を
本当に生きることをせずして
望む自分になることはできないんじゃないかな、
と思います。
今目の前の現実を逃げずに受け止め、
その呼びかけに応答しながら生きていった先に、
望んでいた自分が見えてくるのだろうと。
だから、夢を叶えたいがゆえに
今の現実を拒絶し、見ないのは、
ただの現実逃避であり、ますます夢の実現から
遠ざかる行為です。
昨日は、都合の悪い現実をさっと隠して
常に先に進みたいという意識と、
いかにそれを暴いて向き合うかという意識の
攻防戦のようでした。
ちょっと統合しては「もう大丈夫」
と言い張る意識に対して、
「ちょっと待って、ここはどうなってるの?
こっちもまだ未完了だよね?」っていう
突っ込みをずっとやっていたような
気がするのですが、
こういう未完了の部分を嗅ぎ当てる嗅覚
がないと、たやすく
「あらそう?良かったですね~!
これであなたはもう大丈夫でしょう!」
で終わりになってしまいますね。
当人からすれば、都合の悪い声が暴かれる度に
「え~!まだあるの?こっちもある!」と
げんなりしてしまうのかもしれませんが、
そういう「都合の悪い声」ほど
丁寧に聴ける自分でないと、
夢が形になったときに幸せを感じられない
自分のままだったりするんですよね。
幸せになるために夢をかなえたいはずなのに、
これでは何の意味があるでしょうか。
未完了の感情のカケラ君たちの切実な声に
耳を傾け、きちんと応答できる自分である
ということは、
大切な人との間でもちゃんとそれができる
自分である、ということです。
大切な人だったら、今のままでもできるもん!
という方もあるかもしれませんが、
多分それだと独り善がりになっている
可能性が高いですね。
わかっているつもり、見ているつもりで
全然わかってない、見てないという具合に。
自分との間でやっているコミュニケーションが
そのまま、外側の誰かに対してしている
コミュニケーションだからです。
大切な人とすれ違うことなく、
本当に深く触れあうために、
最も聞きたくない言葉にも、
誠実に向き合える自分の器を
ぜひ育てていってください。
あなたの内側と外側が
美しい愛の交流で満たされますように。