自分の中に何を取り込むのか、
ということについて
つらつらと考えております。
物や情報、食べ物など、
取り込んだものによって
間違いなく影響され、
自分が作られていくわけで、
自分が取り込むものには
十分な注意が払われてしかるべきですね。
気を付けている方は
既に色々勉強されたりしているのでしょうが、
私はそこまで積極的に情報を集めたりは
していなかったので、
これから勉強してみるか、
というところです。
で、最近知人が「ぜひ読んでみて!」って
送ってくださった本を読んでいるのですが↓
「日本が売られる」(幻冬舎新書)
元々気になっていた本で、内容も
全く知らなかったわけじゃないけれど
改めて読んでみるととてもショッキングな
ものでした。
これはすべての国民が知っておくべきだと
勉強の必要性を痛感したのですね。
いま日本で何が起こっているのか、
眠りこけている場合じゃない!って
強く思いました。
そこから食や健康、社会の薄暗い部分の本など
気になる本をたくさんブックマーク
しているのですが、
いかんせん、読むのが遅い私には
そのリストが増えるばかりで、
隙間時間を見つけてぼちぼち
読み進めるしかないな~と思っております。
ただ、こうした情報を取り込むときに
「いかに読むか」と言う部分が大切で、
鵜呑みにしてしまっては、何らかの意図に
盲目的に踊らされてしまうだろうし、
情報を精査するほどの総合的な判断基盤がある
わけでもないので、その距離感というのも
注意深くしなければいけない、とは思います。
前職では新聞社に居ましたので、
情報と言うのは加工品であり、
ある意図をもって意識的に加工して
見せているものだということは
体感としてそれなりにあります。
だから、情報の出どころや発信者の意図には
自然と意識は向きますね。
ある方が言っていましたけれど、
「新聞で信じていいのは日付だけ」って言葉、
極端な表現かもしれないけれど、
ニュアンスはよくわかります。
情報は薬にもなれば毒にもなる。
自分の意識の中に、そのエネルギーが
浸透していくときに、確かに、
何かしらのさざ波を立てていきます。
だから、
自分の意識をどんな風にしておきたいのか
という視点から、取り入れる情報を選ぶ
というのもあるのだろうな、とは思います。
人によって、情報処理能力は
それぞれですしね。
ただ、そこでふと思ったのが、
知らなければ平穏に暮らせるけれど、
知ってしまったがゆえに動揺や
ある種のストレスを抱えることになる
情報もあります。
そういうものに対して、
じゃぁ知らないで安穏と暮らしていれば
いいのか?というと、それもそれで
違うだろうと思うわけです。
となったときに、
さてどこまでを取り込んでいくか、
ということが次の課題になってきて、
今、読みたい本リストの中には
かなり社会の闇のドロドロの部分を描いた
ルポルタージュなんかもあって、
多分これ読んだら相当ショックだろうな、
という内容です。
そういうものをあえて自分の意識の中に
取り込んでいくのかどうか。
自分が意識を向けた先の情報が
自分の世界に現れてくるというのは
よく知られた事実ですが、
そういうものを学べば学ぶほど、
間違いなく私の現実にはそういう要素のものが
増えてくるでしょう。
知らなければ、そんなものは無い世界を
生きていくかもしれません。
まぁ、否応なく見せられることも
ありますけれどね。
そんなことをつらつらと考えながら、
さて、読むべきか読まざるべきか
なんて考えたりもしていました。
情報の出どころがしっかりしておらず、
著者の主張が強引な、怪しげな情報は
さておき、
ここは敢えて毒を喰らってみるのも
勉強かな~なんて思っております。
自分の中で、そういう情報に対する
耐性もつけておかないとね、
ってことでしょうか。
歴史の中でも非人間的な、
相当にひどい出来事というのは
繰り返し起こっていますが、
この現代でもそれは変わりないのかも
しれません。
そんな、人間の業というものを直視するのも、
ヒーラーとしては必要なことだと思っています。
まぁ、人によっていろいろ考え方は
あるでしょうけれどね。
光を求めたければ、同じくらい闇も
見なければならない、とは常々思っています。
光だけ求めていると、
その分、闇が深くなります。
そして、
深くなっていく闇に背を向け続けていれば、
やがて自身の内の闇を持て余すように
なるでしょう。
けれど、
光と同時に闇をもまた直視することで、
両者の二元性を越えていくことができます。
一段、深い光を見るために、
未知の闇を覗き込んでみるとしましょうか。
まぁ、ちょっとずつですけれど。
そこから何が見えてくるか。
ぼちぼち取り組んでみます。