サロンでは毎日祭壇にキャンドルを灯して
お祭りしている神々を礼拝しています。
セッション中でもずっと祭壇の灯は
絶やしませんが、ティーキャンドルなので、
ふと見ると、
蝋はあるのに芯が倒れていたり、
蝋が吸い上げられなくて
消えていたりすることがあります。
そんな中途半端に残った蝋が
結構な量になるので、集めてまた大きな
キャンドルに固め直して使うことが
あるのですが、
毎回、芯を入れる時に
難しいものだな、と思うのです。
短すぎても炎が小さくなってしまうし、
かと言って長ければいいというものでもない。
さっきまで順調に勢いよく燃えていた
と思ったら、次の瞬間、突然
パタッと芯が倒れて溶けた蝋の中に
沈んでいたりする。
芯が短くなって溶けた蝋の中に
沈んでしまっても、
新たに芯を切って入れてやれば、
また赤々と元気に火を灯すこともできる。
そんな風に蝋を再利用したものを
祭壇にお供えするのが良いのか悪いのか
は別として、
キャンドルの灯を見ながら、
さながらそれは人間や家、国家の
栄枯盛衰を見ているようで、
そうしたものも、ほんのちょっとしたきっかけで
突然勢いを失ったり、盛り返したり
するものなのだろうな、と感慨深く
思うわけです。
今、衰えに衰えてこのまま消えてしまう
しかないのではないか、と思うような灯も、
何かちゃんと燃え続けるような状態に
整えてやれば、まだまだ勢いを盛り返して
いくのではないか。
その「整える」ということも、
とんでもなく大変ということではなくて、
実はちょっとしたことだったりするんじゃないか。
という気がしてならないのです。
もちろん、多くの労力をかけて
取り組んでいくこともあるでしょう。
その「ちょっとしたこと」すら
うまくいかないこともあるでしょう。
でも、なにかそこに気づくべきことが
あるような気がして、
ろうそくの蝋と芯と炎を見ながら
もぞもぞしています。
蝋は、それだけでは炎をあげることは
できませんし、
芯は芯だけだと燃え尽きてしまえば
それで終わりです。
芯は蝋を吸い上げることで、
自分が燃えるだけではとても不可能なくらいの
大きな炎を長時間、安定して燃やすことが
できます。
この関係、今週の無料遠隔ヒーリングの
テーマにもした「ルーツ」の概念に
繋がって来るのですよね。
今を生きる私たちは、ろうそくの芯なのです。
先祖から連綿と受け継いできたものを
しっかりと炎にして燃えなければいけない。
芯が芯としてその役割を全うするとき、
ただの紐じゃなくて、周囲を明るく照らす
ろうそくという全体の一部として、
生き生きと生きるのではないかな~
と思うのです。
今、この国には豊かな蝋はあるのに、
それを明るい炎にして灯す芯が
どれだけ機能しているか。
蝋を吸い上げることを拒絶すらしている
芯になっていないか。
花を咲かせ、実を収穫することにばかり
目を奪われ、足元の根っこを大事に養うことを
忘れているどころか、知らずにいるのではないか。
今、私に何ができるだろう。
そんなことをつらつら考える今日この頃です。