昨日はスーパームーンの月食ということで
かなりパワフルな満月でした。
サロンでも瞑想会を行いましたが、
ご参加くださったみなさま、
ありがとうございました。
食は変容のエネルギーの著しい時
と言いますが、
その例にもれず、
私の中でもその強烈なパワーのお陰か、
長年抱えていてなかなか触れられなかった
領域の感情に取り組むきっかけが
与えられました。
それは、深い悲しみの感情と諦めの蓋
だったのですが、あまりに深く封じ込めすぎて、
普段取り組もうと思っても、うんともすんとも
言わず、触れられないでいたものでした。
まぁ、これがあっても今はそこそこ
幸せに生きているし、まぁいいか、
と思えば思えたのかもしれませんが、
明らかにそれによって人生にブレーキが
かけられているのがわかるので、
これはやっぱり正常ではないよね、
必ずといていかなければ、
と思ったのでした。
その部分に、今回もお月さまの
強烈なエネルギーが届き、
ハートの奥で何やら色々起こっている
らしい感じがしました。
魂の歴史の中で味わったたくさんの
失望と悲しみの中で、私はいつしか
希望を持つことをやめていました。
そもそも、求めることもしなくなり、
そういった希望は私には無縁のこと、
とばっさり切り捨てて、スルーする
ようになりました。
そして、最高の望みがもし叶ったとしても、
私の心には全く喜びが感じられない
状態になっていたようです。
喜びと表裏一体になった悲しみが、
喜びを味わう度に浮上してきて、
喜びを汚染するのです。
そういう感情のエネルギー構造自体は
私もよくわかっているので、もちろん
これまでに何度もチャレンジしたことは
あります。
が、なかなか完全には完了できなかった
のですね。
これまでセッションさせていただいた方の中にも
似たようなものを持っている方は結構
いらっしゃいましたが、
そうした方がどのような選択をするかというと、
これを何とかして超えていきたいと
思うので、本気で取り組んでいく、
と決める方と、
そもそも自分はこれを癒そうとかいう
願いもないので、そこそこで生きていく
のがいい。これには手を付けない
という選択をされる方がありました。
その方それぞれの選択ですね。
揺れ動きながらも、今の私は前者を
選択しているので、しっかり取り組んで
いきます。
胸の奥の悲しみと絶望の体感覚を
辿っていくと、それなりにドロドロとした
人間関係のストーリーの気配が
浮上してきました。
怒りと、憎しみの血生臭いストーリーですね。
かなりエグいので詳細は省きますが、
普段、なかなか怒りの感情が出にくい
私なのですが、
なるほど、こういう怒りがあるとすれば、
確かに怒りを禁じてしまうかも、
と納得でした。
このときは、存分に怒りのエネルギーを
表現してみました。すると胸の奥が
かなりすっきりとした感じに。
怒りは、根本的には傷ついた気持ちの反応です。
されたくないことをされたか、
してほしいことをしてくれなかったかの
どちらかの反応なんですね。
なぜ私がそんなにも怒ったかを
掘り下げてみると、
尊厳を踏みにじられた、
大切に扱ってもらえなかったことへの
ショックが大きかったようです。
そう言えば、この人生でも
子供のころとか大人になってからでも、
そういう眼差しの扱いを受けた記憶があり、
馴染み深い感覚に、
ずっと引きずっていたんだなぁと思いました。
他人からされることは
自分が自分に対してしていること。
振り返ってみれば、
確かに私はそういう眼差しで自分を見ている
ところがありましたね。
そういう眼差しで見られるたびに、
すくみあがるようにして小さくなっている自分。
また自分を粗末にしていた側面を
発見してしまいました。
しっかり方向転換していくことにします。
気づきの大きかった満月のワークでした。