誰しも、多かれ少なかれ色々な願い事を
心に抱いているものだと思いますが、
私自身も例にもれず、願い事はあります。
けれど最近、漠然と抱いていた
それらの願い事をじっと心に感じてみたとき、
実はそんなに願ってはいなかった、
むしろ望んではいなかったのだ
ということに気づいてしまいました。
これまで、結構努力したのに
全然叶わなかったという願い事は
たくさんあるのですが、
良~く見ていくと、実はそういう願い事は
そもそも、本当のところは全く望んで
いなかった願いごとでした。
そのように振り返ってみれば、
確かに本当に望んでいたことは、
ちゃんと叶っていますね。
今まで、全然私の願い事なんて
叶わないんだ!って拗ねたり
いじけたりしていましたが、
全部私の勘違いでした。
神様ごめんなさいm(__)m
なんでこんなことが起こるのか。
頭で思い描く理想像に、
気持ちがついてきてないんですね。
あるいは、頭だけでこうなった方が
良いに違いない!と決めつけていて、
それが本当に自分には合っていない、
そぐわないものだったりしたのです。
頭と心がかみ合っていないから、
気が入らない。
アクセルを踏みながらブレーキを
かけている状態になってしまっていた
わけです。
自分自身の深いところの声を
聴かないと、こういうことになって
しまいがちです。
心の深いところでは嫌だと思っているのを
感じているのに、頭でそれをねじ伏せて、
「いや、そんなことではいけない」とか
頑なに理想像に駆り立てていたりします。
なんでそんなに無理やり理想像に
自分をねじ込まなくては
いけなかったんでしょうね?
そこを掘り下げていくと、大抵
何らかの恐れが出てきます。
そうしないと大変なことになる。
淋しい思いをしたり苦労をするように
なってしまうぞ。
そうならないように、この理想像を
実現しなくちゃいけないんだ!
って具合です。
でも、そもそもその
「~しないと大変なことになる」っていう
そのストーリー自体が真実なのかどうか。
誰かに言われた言葉とか巷に流れる
様々な情報に踊らされているだけで、
本当にそうなのかはまた別の話です。
心の深いところでは、
きっとそれがわかっているから、
乗り気にならないのでしょうね。
人生は常に常に選択の連続ですが、
すぐにYes!とならずにどこかでぐっと
ブレーキをかけてしまうときは、
何かしら引っかかるところがあるのでしょう。
実はその引っ掛かりこそ、
自身が行くべき方向へのサイン
だったりするのです。
本当に進むべき方向ならば、
一寸の迷いもなく気持ちよくすぐに
決断できるものではないでしょうか。
私自身、これまでの決断を振り返ってみると、
諸々の引っ掛かりを感じながらも
頭でこれでいいはずだと違和感を押し切って
進めたことは、例外なくダメでしたね。
だから、これを逃したらチャンスはない
とか急き立てられて決めなければ
いけないような状況で
う~ん、となっているときは、
見送りが正解!って思うようになりました。
こういう基準で選択して、特に
損した!あの時やっておけばよかった!
とか後悔することは全くないですね。
むしろ、あの時乗らなくてよかった~!
って自分を褒めてあげることの方が
多いかも。笑
商業的に、期間限定!この価格で
購入できるのは○○まで!とかいう
売り方もよくありますが、
お得だから、で選ぶよりも、
人生の流れからすると、
最高最善のタイミングで手に入れるとか
流れに乗る方が、ずっとメリットが大きい
ような気がします。
追い風が吹いているときに
実行した方が良いことを、
凪の状態でいくらやっても
成果は薄いように、
そういう意味で言えば、まさに
「時は金なり」なんだと思います。
この言葉、今まで私は
寸暇を惜しんですべての時間を有効に
使うことだと思っていたのですが、
「時」というのはタイミングのこと
なのだろうと捉えるようになりました。
在るべき時に、在るべきところにいること
だったり、為すべきことをすることだったり。
こういう風に在るためには、
頭の理想像を追っていては
ダメなのだろうと思います。
ちゃんと、自分自身の深いところに
心を澄ませて応答できる状態でないと。
頭ではよくわかっているつもりだった
のですが、まだまだですね。
本当のところ、いま自分はどうしたいのか。
それが本当に聴きとれるようになるには、
あらゆるタブーや恐れの影響から
自由でなければいけませんね。
あらゆる選択肢に自分を開いて
いられるように。
まだまだ精進です。