最近、Facebookでつながった2人の方から
全く同じフレーズの不快な言葉をかけられ、
はて?これは何のお知らせだろう?と
思ったので見てみることにしました。
まぁ、基本Facebookはコミュニケーションツール
ですから、相手を尊重しつつ最低限の
マナーは守って交流したいですよね。
そこの前提と自分のラインは守りつつ、
でもこういうこともまた気づきのけっかけ
にもなりますから。
最初の人は、Jayden K. Smithというハッカーに
気を付けろ、という内容のチェーンメールを
メッセンジャーで送ってきた男性で、
このメール、私は様々な人から
もう10回以上は送られて来てます。
また来たか~。きっとこの人も知らないで
色々な人に回してしまっているんだろうと思い、
チェーンメールですよって教えてあげたんですが、
返ってきたのは
「そんなにビビることはないと思います」
っていう返事。
いや、そういうことじゃなくってね。私は
「不用意にこういうものを送らないでほしい」
と返したら、
「俺の勝手だろ!」
って言ってきたんですね。
おいおいって感じで、まともに相手にできないな
って思ったので、即ブロックしました。
で、もう一人は以前からコメント下さったりして
それなりに交流のある方で、口は悪いけれど、
魂はとってもピュアな方だと思うんですね。
でも、たまにくださるコメントが、
ちょっとこれは嫌だな、と思うことが
何度かありました。
で、そういうのは私は嫌だって言ったら、
「俺の勝手だろ。書く欄があるんだし」って
返事が。
それは違うよね~。
「俺の勝手」は、人に迷惑かけない領域で
やるのが人としてのマナーでしょ。
なんでわざわざ人の領域に踏み込んできて
そういうことやるかな。
そんなこと言ってたら、「お客様は神様だろ」
って言って無茶なクレームつけたり、
暴力振るったりするモンスター化した客と
一緒でしょ。
結局、この方はわかってくださいましたが、
短期間に全く同じフレーズが出てくるって
何かあるんですね。
他人のふり見て我がふり直せって
その人にも言われましたので、
見てみたわけです。
どういう料簡でこういうセリフが出てくるのか。
相手の動機の部分を想像して見ます。
ワークショップでもよく、
「鏡のメッセージを読み解くワーク」で
こういうことをやります。
鏡の法則を読み解くには、
「鏡」の読み方があるんですね。
もし、彼らが自分の行為を指摘されたときに
「俺の勝手だろ!」って言わなかったとしたら、
どんな気持ちになるのか。
それを想像してみるわけです。
ちなみに、ここで想像するのは私自身の
主観であり、それを恐れずに表現することが
このワークの大切なところです。
相手が本当はどうなのかとかは、
全く関係ないんですね。
見ているのは、私自身の心の内のこと
なので。そこは切り分けて見ましょう。
で、想像して見るに、彼らは
「俺の勝手が許されるフィールド」で
好きにしていたのに、それを拒絶されたので
驚いたのと同時にむっと来た。
「俺の庭」なのに、何がいけないんだ!
って思ったような気がします。
そしてさらに、「俺の庭」と思っていたものが
実は「俺の庭」じゃなかった。
許されると思っていた行為が
許されないと知ったときの動揺、
或いはその事実を拒絶した言葉が
「俺の勝手だろ」なのでしょう。
つまり、相手の境界線に侵入しているんですね。
だから私は相手が私のテリトリーに土足で
踏み込んできているように感じた。
なぜ、境界線を侵入してしまうのか。
相手の存在を尊重していないし、見ていない。
無意識に、自分と同一視して「俺の所有物」
のように捉えてしまっているのかもしれません。
翻って、私は相手をこういう見方で
捉えているところがあるだろうか?
相手をよく見られていないのはなぜなんだろう?
自分との違いを認識してしまったときに、
淋しさや閉塞感を感じるからかもしれません。
だから自分と同じだと思いたい。
違いなんて見たくないわけです。
どこまでも自分と同じで、私を拒絶するなんて
ないものとして、見ていたいのだと思います。
というわけで、「俺の勝手だろ!」という
言葉の根っこにあったのは、淋しさと閉塞感
という気持ちだということが明らかになりました。
後はこれを受け止めていけばいいだけ。
というわけで、しっかり受け止めて
根っこを完了させたいと思います!
気づきをくれたお二方に感謝(-人-)