先日、「肚の底から決める」ことについて
書きましたが、
これってポジティブなことだけじゃなく、実は
ネガティブなことでも肚の底から決めていること
ってあるんですね。
決めること自体にはネガもポジもないので、
当然と言えば当然ですけれど、
深く意識に刻まれた決意がネガティブに
働くと、これは結構大変です。
なんでこれを書いているかというと、
何を隠そう、私自身の中に見つけちゃったから!
なんですね~(^^;
いやもう、半端なくものすごい決意で
魂に刻まれてました!笑
見つけてから、道理で。。。
って思うことが走馬灯のようにあれもこれも
浮かんできて深く納得いたしました。
必死で求めて来たはずなのに、
心の奥深くではきっぱりと拒絶していて
頑なに背を向け続けている自分を
見つけたときの衝撃と言ったらありません。
これじゃぁ、至れるはずがない。
霊性の師であるレナードに
「あなたは準備ができていない」
と言われたことの意味がやっとわかりました。
私の本名は「真理子」なんですが、
よく名前はその人を表すと言われますね。
クライアントさんからも、
「KOUさんの名前って、そのものですよね」
って言っていただいたことがあり、
それは有り難いことだな、と思いましたが、
一方で、その人の足りないものを補う意図で
つけられる名前っていうのもあります。
私の同級生で、生年月日の五行だか何だかを
出した時に、ある要素だけがなかったので、
それを名前にしたのだと言っていた友人が
いました。
そんなことを思い出しながら
真理を求めつつも頑なにそれに背を向けている
自身のビジョンを見て、これは私のカルマ
なのだろうと思いました。
なぜこんなにも強烈に拒絶しているのか、
まだわからないのですが、
その決意の深さだけは体感を通して
はっきりとわかります。
その拒絶に向き合うと、
ミシミシと音を立てて脊髄を引き裂くように
エネルギーが動くのですが、
怒りとか悲しみとか絶望とかは全く感じず、
ただ神経線維が一本一本、
引きちぎれていくような感覚の中、
ものすごく冷静に、厳然たる決意をもって
その行為を実行している感じなのです。
例えていうなら、切腹ってこんな感じ
なんじゃないか、と思います。
(やったことないけど。(^^;)
以前、スピリチュアルな契約や宣言などについて
書いたことがありましたけれど、
この場合は私自身の宣言であり、
契約というのであれば、その相手は
私自身ということになります。
つまり、エネルギー的にこの宣言が
深く魂の中に入っているわけです。
じ~っと拒絶の感覚を辿って言葉にしてみると、
「二度と私は真理なんかに関わるまい。
たとえそれがどれほどの恩寵に満ちていようと」
といった感じでした。
今世の私の顕在意識では、恩寵の感覚ほど
大切で私を満たすものは無いのですが、
その奥にその思いとは正反対の宣言が
あったわけですね。
こんなものを持ちながら、
よくここまで恩寵に導かれてきたものだと、
ある意味感心します。。。
でもこれがあるがゆえに、
あと一歩、受け取れきれていないものが
あったのでしょう。
私は確かに恩寵を知っている。
にもかかわらず、それを拒絶している。
なぜだろう?
もし恩寵を受け取ってしまったら?
真理に触れてしまったら、
わたしはどうなってしまうだろう?
もしそうなったら、
私は神のものになってしまう。
という思いが出てきました。
それが真実かどうかはさておき、
私はどこかでそれが嫌なので必死で抵抗
しているようです。
そうなると、何が都合が悪いのか。
顕在意識では願ってもない!って
思ってるんですけどね。笑
掘り下げていくと、
頭でコントロールができなくなってしまう。
それが恐い、と言っています。
頭のコントロールではなく、
神によって生きる在り方にもし移行したら、
とイメージの中で感覚を辿っていくと、
頭のてっぺんから首の後ろにかけての辺りの
エネルギーがものすごく変化しています。
自分自身への恐れに取り組んでいるときから
この辺りにものすごく反応があったのですが、
繋がっているようです。
この恐れのエネルギーを体で明確に捉えて
受け止めていきます。
それに伴って、頭頂からものすごい抵抗を
かき分けながら、エネルギーが体の中心を
降りていきます。
いつもの日課の某エネルギーワークで
このラインには繰り返しエネルギーを流して
通りは悪くないはずなのですが、この時は
ものすごく抵抗がありましたね。
そうして頭頂から下まで抜けるまでに
しばらく時間がかかりましたが、
まだ抵抗はあるものの取り敢えず抜けたので
真理に背を向けていたビジョンを確認すると、
まだ距離は少しあるものの、
向き直ってはいました。
もう少しですね。
ハートに葛藤が残って引っかかっているので、
引き続き取り組んでみたいと思います。
今日はこんな感じで。