中秋の名月の翌日の満月は、あいにくの雨でしたが、
お仕事帰りの常連の方、少しお久しぶりの方たちに
お集まりいただきました。
本当にありがとうございます。
いつものようにみなさんの近況などをお聞きしながら、
この日流していくエネルギーを探っていたのですが、
今回は、先を急ぐよりも、今の自分のポジションを
確かめていくような、フィールドでした。
例えていうならば、階段の踊り場のような
イメージです。
長い上り坂を行くのに、ちょっとインターヴァルを
入れて、次に足を踏み出すまでの準備をする
満月のようでした。
みなさんに選んでいただいたホログラムも、
いつものような感情のわだかまりなどを浄化する
ようなものではなく、
今この自分をより深く統合して、
慈しんでいくようなものでした。
瞑想が始まり、エネルギーを流していくと、
心地良くそのエネルギーに浸っている方も
あれば、
ご自身の内で諸々が起こっていく方も
あったようです。
瞑想の合間合間にみなさんの状態を
確認しながら、様々なメッセージを
お伝えさせていただきましたが、
今後のご自身の在り方を選択する際の
ヒントにしていただければと思います。
今回も、みなさまとの素晴らしい
ひと時をご一緒させていただけましたこと、
心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
【ご感想】***************
お世話になっております。
昨日はありがとうございました。
このところ不安定な状態が続いていたせいか、
今日は心身共に弛緩していて、本人が無自覚なところで何かがじわじわ浸透して行るのかな、とぼーっとしていました。
昨日のエネルギーは、とても様々なものがあり、受け止められたものや感じられたものも、なんだか混沌としています。
でも、かなり強烈だったのは、満月の力を身体の中に入れつつ、水のエネルギーがかけられた時、お腹の中に広い世界が浮かんでいたことです。
そこは、みるみるうちに大洪水が起こって崩れていきました。災害のイメージではなく、自然の力のすごさに圧倒される感じです。
ひたすら「ここは瞑想会なのだから安心、安全」と思いながら見ていると、次に聖杯のエネルギーがかけられました。
すると、凄まじい洪水の膨大な水が、聖杯の中に吸い込まれたのですが、聖杯の中では、ほんの一滴にもならずにすーっと消えていきました。
その後はとても穏やかな世界になって、お腹の中には、ゆったりとした大きな滝が出現し、大地に水を落としていました。
あの感じは、その時々で、再体験してみたり、解釈してみたり、自分の中に本当に取り入れたいと思います。
大いなるもの(?)の規格というか次元の違いすぎ加減にも驚いたのですが、あまりそちらに気をとられず、水や土に目を向けていこうと思います。
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お世話になっております。
瞑想会有難うございました。
無条件の愛という言葉の意味が初めてわかったような夜でした。
私が何をしようと、何を思っていようと、私をただ肯定してくれている、それに気付かなければ何も感じないような、けれど気付いたら心地よくて何とも言えないもので満たされていました。
一体いつからなんでしょうか、肯定と否定が2つでセットになってしまったのは。
右を選ぶという事は、左はダメ。
彼女が選ばれれば、私は選ばれない。
私と他者が共に幸せになる道は決してないという、魂に深く刻まれてしまっているものがあります。
子供の頃、月がいつも自分についてきてくれて、自分は月に好かれていると思って喜んでいました。ついてきているのではなく、とても遠い距離なのでそう見えるだけと知って、とてもがっかりした事を思い出しました。でも私だけについてきているのではなく、全員についてきてるように見えるということだから、それってすごい事かもと、ものすごい年月を経た今、虚しさが愛に変わったような気がします。
どうでもいい、何をしても意味がない。
どんなんでもいい、何をしてもいい、何もしなくてもいい。
両方とも言葉にはあまり違いがないけれど、後の言葉にとても心が楽になります。
どんな状態の自分でもただ肯定するだけで、こんなにも安らかで気持ちのよいものなんだと、感動というより本当にただ気持ちよいです。
しばらくは、この無条件の愛の中にいる感覚を味わっていたいです。
また、そんな気持ちでいる私へ、KOUさんからの瞑想会御礼のメール、
更に心に安らぎが拡がりました。
本当に有難うございました。