スピリチュアルなことに多少なりとも
関わっていて、グラウンディングに悩む人は
多いような気がするのですが、
グラウンディングのイメージワークを
やっても、なかなかできないんですよね。
グラウンディングというのは地に足を
つけることで、この地球、大地にしっかりと
根を張っている状態になることを言います。
スピリチュアルの基本中のキなんですが、
今では少しはマシになったかなと思うものの、
私自身もなかなかできなかったですね。
スピリチュアルなエネルギーは
3次元世界のエネルギーよりも軽やかなので、
それを頻繁に使って馴染んでいると、
どうしても相対的にグラウンディングが
弱くなる傾向があります。
下(大地)よりも上(宇宙とか天使、神々など)
と繋がっている方が、楽なんですね。
高次のエネルギーにつながりやすいって
一見、良いことのように思えるかもしれませんが、
バランスの問題で、
上にばかり繋がって下に弱いと、
フワフワして地に足がつかない感じになります。
実際に体のバランスもそうですし、
考え方がそうなってしまうので、
余計にこの現実世界で生きる力が
弱くなってしまうのですね。
こういう状態になっている方、
スピリチュアルやっている人の中でも
よく見かけるんじゃないでしょうか。
グラウンディングが弱くなる原因は、
軽やかなエネルギーを使う以外にもあって、
一番大きいのは
「この現実世界が辛くて逃げ出したい」
と思っていることです。
この世界は辛いことだらけで危険だ!って
感じているので、ここにいたくないわけです。
ここではないどこか、楽しくて楽なところ
につるっと逃げてしまうのですね。
それが、天使だとか神々の世界、
その反対の闇の世界なんてケースも
あったりなかったり。
つまり、何かしら人生から逃避している人は、
必然的にグラウンディングが弱くなる傾向が
あるのです。
まぁ、スピリチュアルを逃避先に
使うケースは、大体こんな感じになってます。
私がヒーラーとしての活動を始めて
間もなかったころ、ある友人から
「スピリチュアルなんて逃避だろ」って
言われたことがありました。
結構ショックだったのですが、
確かにそういう動機でスピリチュアルを
やっている人は少なくないし、
否定できないところだな、とは思いました。
けれど、本当にスピリチュアルを実践
している人ならわかると思いますが、
スピリチュアルって、逃避に使えるほど
甘くはないのですよね。
最初はそれができたとしても、
深く入って行くに従って、そういう動機では
容易く足元をすくわれ、痛い目を見ます。
既にそういう目に遭った人、
少なくないんじゃないかな?
スピリチュアル業界も玉石混淆ですからね。
それを見極めていく目は、自分で鍛えて
いかなければなりません。
もしあなたが痛い目に遭って、スピリチュアル
なんてこわいものだ、全部まがい物だ
と思うのなら、それは誤りです。
なぜそういうものに引っかかってしまったのか、
自分自身の在り方や動機を振り返って
精査しなければなりません。
そうして、何がいけなかったのか、
どう自身の在り方を修正すればいいのか、
明確に理解して軌道修正すべきなのです。
相手が悪いと一方的に責めて被害者意識を
持つのは責任転嫁です。そうではなく、
自分の選択の結果に責任を持つことですね。
それをしないで被害者のまま、
今度こそまともな先生に出会おうと
スピリチュアル遍歴を重ねる人がいますが、
何とも危うい歩みだと思います。
見えない、よくわからない世界だからこそ、
自身の感覚を研ぎ澄まし、自分に深く
向き合って在り方を問い続けることが
必須なのです。
私は、人間という存在は肉体や心だけではなく、
スピリチュアルな、霊性の側面を抜きにしては
語れないと思っています。
霊性を抜きにして、どうやって
人間として健全に生きていくことができましょう。
深く、自身の奥深い霊性に根を張って、
現実から逃げるのではなく、
自分自身の命に対峙するのです。
現代人の多くは、この根っこがほぼ育っていない
ので、まるで踏ん張りがきかない。
辛抱できないし、目先の結果しか見ることが
できないのです。
これはもうこの時代、この国に生活していたら、
そうなってしまうような構造になっているけれど、
だからこそ、地に足をしっかりつけて、
借り物の土台を使うのではなく、唯一無二の
自分自身の深奥に根を張ることが大切です。
現実は、逃げるほどに辛くなります。
時には逃げるのもアリですが、
退避したときに、次にそれがやってきたときの
対策はしっかり練っておきましょう。
そのようなスタンスでいるならそれは逃避
ではありません。
誰しも、多かれ少なかれ逃げ出したいことはあります。
でもそれこそが、自身の可能性の伸びしろなんです。
まだまだ伸びていけるなんて、
人生、退屈している暇はありませんね。