昨日は特別講座⑮
「恐れなく愛し、愛されるためのワーク」
の2回目でした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございます。
常連の方、すご~くお久しぶりの方の
クラスでしたが、今回は結構スパルタ式に
みなさんのお尻を叩きながら行きました!笑
私たちは、愛を求めながら、
一体どれだけ愛を恐れ、拒絶し、
自ら関係をぶち壊してきたんだろう、
としみじみ思います。
こんなにも愛がほしいと言いながら、
愛に触れることの抵抗は熾烈を極めます。
何とも、不思議なことをやっているんですね、
私たちは。
そうして、自分は愛される資格がないだの
どうせ無駄だの、自分を愛さない人を
恨んだり憎んだり、勝手に失望して
無力になったり。
本当にこの連鎖、キリがありません。
本気で愛を交わし合う関係性を築きたければ、
そんなところでグダグダしている暇は
ないのです。
自分は本当はどうしたいのか?を
はっきりさせなくてはなりません。
恐くても、辛くても、
今でも十分に辛いのではないでしょうか?
だとしたら、本当に欲しいものを
受け取れる自分を選んだ方が、
まだやりがいはあるのではありませんか?
みなさんのワークを誘導していて
つくづく感じたのは、
愛をかわしたいと思いながらも、
拒絶されるのか恐いから相手を見たくない、
相手の本当の感情など知りたくない、
と思っていたり、
自分にも非があるのを認めたくなくて、
相手が悪いと一方的に被害者になっていたり、
とにかく受け止めたくないものから
徹底的に逃避しているということです。
人生の諸々の辛いことを味わいたくなくて、
自分の人生を生きることそのものを拒絶して
逃避していることすらあります。
こんな状態で、愛し愛されたいと思っても、
到底無理ですよね。
ですから、ワークは自分が今、
何から逃げているのか、徹底的に
直面することを繰り返しやっていきました。
普段、自分一人ではやらないでしょうね~。笑
愛されたい愛したいという理想を追い求めつつ
それがなかなか成就しないのは、
こういうところが自分では
なかなか捉え難いからです。
お尻を叩かれながらも、みなさん
見たくなかった無様で惨めで
とってもズルい自分を見つめていくのは、
かなりきつい作業だったと思います。
それでも、その在り様が否定の仕様もなく
真実だと、わかったことでしょう。
その真実に立って、この在り様をこれから
どうしていきたいのかを
自分で決めていただきます。
講座が終わって家に帰る時、このまま
逃げ続けている自分で帰っていきたいのか、
それとも、地に足をつけて責任をもって
自身の人生を決めていける自分として
帰っていきたいのか。
講座でサポートを受けられる時間は
無限ではありません。
期限を切ったところで、着地点を自分で
決めるんですね。
私も最後まで最善を尽くして
みなさんに向き合い続けますが、
みなさんも、必死で自分に向き合い続けた
でしょう。
相手を愛するには、まず自分がしっかりと
地に足をつけて、自身をよく理解していなければ
なりません。
そうでなければ、相手に触れた瞬間から
引きずられ、自分を見失っていきます。
これゆえに愛を恐れる人は多いですね。
恐れなく愛を表現していくには、
まず自分自身の在り方がしっかりと
地に足をつけたものになっている
必要がどうしてもあるのです。
自分の気持ちが自分でわからないと、
世間体やどこからかとってつけたような
理想で形を整えようとしますが、
それでは見てくれと本当の気持ちが
ズレてしまうので、結局うまく行きません。
自分の気持ちが良く理解できたところから、
相手の気持ちに触れて、交歓していくんですね。
どんなテーマでも根っこはここに戻ってきます。
まずは自分の在り方が整うこと。
これができると、
自分自身の本当の気持ち、欲求を
感じること、知ること、表現することに
許可が出せるようになります。
結果にこだわらず、どんな結果であろうとも
それが引き受けられるからですね。
被害者意識に逃げ込んでいるときは、
どこかで引き受けるべきものから
逃げています。
被害者でいる自分を止めたかったら、
逃げているものを引き受けることですね。
それが何なのか。どうやって知ったらいいか。
それについて、何も、誰も責めずにいた
としたら、どんな気持ちになるでしょうか?
多分、とても落ち着かなくて、苦しかったり
辛かったりすると思います。
その気持ちが、逃げているものですね。
これを受け止めることから、逃避している
ということです。
逃げることを止めて、この苦しみを
受け止める、と決められたら、
人生は大きく転換していきます。
実際、やると決めれば、
自分が逃避しているものを知ることや、
責任を果たすことは、決して難しいこと
ではないのです。
できずにいるのは、ただやりたくない、
やらないという選択をしているだけのこと。
自分を追い込むことも、ときには
必要かもしれませんね。