昨日は感情解放ワークショップでした。
お集まりくださったみなさま、
ありがとうございました。
初めての方、常連の方、ちょっと
お久しぶりの方、それぞれに
ご自身の今のポジションを確認
されていたことと思います。
やはり着実に歩みを進める方というのは、
自分で今現在の在り方を見て、これからは
どういう在り方をしたいのか、明確に
選択できる方だと思います。
逆に、なかなか進展しない方に共通するのは
現在の自分を捉えられない(認識できない)とか
選択することから逃避しているということです。
認識できないのも逃避の一種なのですが、
「だってわからないから選択できないんだもん」
っていう状態にいることで、進めないのは
自分のせいじゃないっていう責任転嫁が
できるんですね。
本当はできるわけじゃないんですが、
本人の意識の中で、「進みたくありません」
って言うことを避けることができるのです。
本当は自分が進みたくないだけなのに、
「いや、本当は進みたいんですよ。
でもね、こんな状態で進めないんです」って、
自分のせいじゃないんだという主張が
できるわけなんです。
それなら、「私は進みたくない」って
言ってしまった方がよほどシンプルなのに、
そうは言いたくないんですね。
自分がダメな奴に思えてしまうから。
そうジャッジメントしているのは
他でもない自分であり、自分が自身を
許してないだけなのにね。
そうやって責任転嫁をしていると、
本当に自分がどんどん無力になっていきます。
ですから、何かのせいにしてしまう癖が
自分にあると気づいている方は、
今すぐにやめた方がいいです。
無力でいたいならそれでもいいですけれどね。
責任転嫁をして理屈をこねくり回す努力を
するくらいなら、責任を引き受けることに
エネルギーを注いだ方が、ずっとやりがいも
あると思います。
いつもよりほんの少しだけ、肚にぐっと
力を溜めて、踏みとどまるのです。
自身の在り方を方向転換することは、
それなりに意識的でなければなりませんが、
小さな方向転換なら、それほど
大きなエネルギーがなくても
できることはたくさんあると思います。
小さなことから積み重ねていくやり方も、
思うよりも案外、力がついていく
ものですよ。
ワークをしていて常々思うのは、
どれだけ自己認識できているか、
その力を磨いていくことがすべてだな、
ということです。
今現在の自分の在り方がわからなければ、
次の自分の身の振りを決めることも
できません。
自分を知るには、直面するしかありません。
けれど、私たちはしばしば直面することを
避けます。
自分はもう少しマシな人間だと
思っていたいから。
失望したくないわけですね。
ワークをしていると、自身が知らなかった
無様な側面が、嫌でも出てきます。
その自分を受け入れる覚悟をするか、
そんな自分など居ない!と言い張って否定するか。
結構大きな分かれ道です。
たとえば、弱くて惨めな自分を見つけたとき、
その自分を受け入れることを決意する人と、
拒絶する人の、どちらが本当に弱いのでしょうか?
自分の弱さを否定して強くなろうとする人は、
結局、自身の真実に立つことができないままに
空回りして、求めていた強さから遠ざかるのです。
無様で弱くて惨めな自分を受容する人は、
そうしたからと言って、本当に弱くはなりません。
逆に、受容する器が大きくなって、
懐の深い人間味のある人に成長します。
このように書くと、大抵の人は
自分もそうで在りたいと言いますが、
では実際にそれを選択できるかと言うと、
頭ではわかっているけれど、
自分のプライドを捨てられない、
という人も多いのです。
本当は、その人にとって必要なのは、
そのプライドが崩れ去ることなのです。
今まで必死で守ってきたプライドを、
すべて捨て去ることができるのかどうか。
他者に言われたメリットを頭で理解
するだけでは難しいでしょう。
本当に自分で今の在り方のデメリットと、
新たな在り方に移行した場合のメリットを
精査して、
そして何より、本当にそうなりたい!
と渇望するくらいにならなくては、
踏み出すことはないのだろうな、と思います。
それがわかるくらいまで、突き詰めて
自分を見ていくことができるかどうか。
その人次第ですね。
人に説得されて決めるようなもの
ではありませんから。
そういうことを、見ていくだけの
意志の力と集中力、継続して取り組む力が
ワークをする中で、鍛えられていくのです。
本当に自分自身に向き合い続けている人は、
自分の弱さを否定することはないだろうと
私は思います。
むしろ、自分が弱いということを徹底的に
知り尽くしている。そういう自分を
見つめられるだけの強さがあるわけです。
弱い人に、こういうことはできません。
弱い自分を見ることが耐えられないので、
即座にそれを否定して、「いや、自分は
そんなんじゃない!」と言い張ります。
私は、「あなたは弱い」と言われたら、
「そうかもしれない。ではどこがどれだけ、
どんな風に弱いのか見てみよう」と、
さらりと言って実践できるようで在りたい
と思うのです。