あまり健全ではないけれど、
それなりに落ち着いている、というとき、
あなただったら、もっといい状態を
目指すでしょうか?
それとも、それなりのバランスを維持しようと
するでしょうか?
頭では後者を選ぶ人も、実際その状況だったら
前者になってしまうことが多いのでは
ないかな?と思います。
そこそこのところでも、完全に満足
ではないけれど、まぁ我慢できるのなら、
我慢してやり過ごしてしまおう。
世の「我慢強い人」の多くは、
実はこういうことなんじゃないかと
思うのです。
でも、人生はそうそうそこに安住することを
許しはしないのですよね。
魂は、もっと自身の可能性を追究するように!
と尻を叩き、否が応でも「ぬるま湯地獄」
を追い出そうとしてきます。
嫌々そこを引き剥がされるようにして
出ていくか、自らの意志でコミットメントして
一歩を踏み出すかで、その足取りの重さは
数段違ったものになるでしょう。
ヒーリングにおいて、その効力を決める
一番大きな要因は、本人の意志です。
これはもう厳然としてそうだと思うのですが、
どんな一流のヒーラーが働きかけをして、
すごいテクニックを駆使したとしても、
本人がそれを拒否すれば癒しは起こりません。
その人の生きる世界は、その人自身が
創造するものだからです。
だから、どんなヒーラーに出会うか、
そしてどんなセッションを受けるかは、
実はその人自身が創造している現実
なのですね。
またその逆に、ヒーラーがどんな
クライアントさんに出会うかも、
ヒーラー自身が創造している現実
でもあるわけです。
互いが自身の現実に責任を持っていますが、
相手の現実に責任を持つことは、
ヒーリー(ヒーリングを受ける人)
にとってもヒーラーにとっても、
それは不可能なことです。
そしてまた、どんな関係性においても
これは共通して言えることです。
自分は自身の現実に責任を取ること
しかできない。それだけができる。
けれど、そのできるはずのところを
やり切ることは、なかなかのことです。
知らない内に、何かや誰かに責任転嫁を
してしまう。
それが社会的、道義的にも正しかったりすると、
正当性のかさを着て当然だと思ってしまうので、
余計に気づけないのです。
けれど、問題はそういうところではなく、
根本的に、そして徹底的に自分自身の現実の
あらゆることろを引き受けているかどうか、
なのです。
自分の苦しみや不幸を、
パートナーや子供、ご近所さん、上司や部下、
お姑さんや親のせいなどにしていないか。
社会制度や学歴、会社やあらゆる仕組み
のせいにしていないかどうか。
どうやったらこの耐え難い苦しみの責任を
潰れずに引き受けて生きていけるのか。
諦めるでもなく、投げやりになるでもなく、
自分自身の可能性を最大限に引き出せるのか。
そこそこに安住しているうちは、
きっとどこか自分自身の責任から
逃げているところがあるのだろうと思います。
私自身、確かに諦めたり投げやりに
なっていることもありますが、
自分に責任を引き戻すって、
結構きついですよね~。
わかるわかる。。。笑
でも今、挑戦中です。
あ~とかう~とか言いながら、
泣きながら、這いつくばりながらでも
自分にできることの限界を
広げてみよう、と思っています。
やる、と決めたからできる。
つるつると空を切っていた指が
しっかりと頑丈な岩をつかむような感じ。
そこができれば、あとはひたすら目の前の
岩をつかみ進み続けるだけ。
一瞬一瞬、できない、無駄だと諦めてきた
コマをひっくり返していく作業。
あの時はできなかったけれど、
もう少し詳細に要素を見てみたら、
全部は無理だとしても、その極小の要素の中に
できるものがあるかもしれない。
一絡げに捨ててきたものの中に、
まだ責任を果たせるものがあるのではないか。
ギリギリの状況でそういう検討をし、
可能性を拾い上げられるだけの意識の力を。
可能性は、見ようとしなければ
見出すことはできません。
逆に、見ようとすれば、面白いほどに
未知の扉が目の前に現れるものです。
自分が自身の世界の創造者だから。
責任を果たすほどに、創造者としての力が
湧き出てくるのです。
最初、どんなに責任を自身に引き戻すことが
辛くても、やるべきなのです。
安穏と地獄にいて諦めていてはいけない。
人生に対して投げやりになると、
生きる力が弱くなっていきます。
生きている実感もないし、
何のために生きているのかもわからなくなります。
そういう状態の時、多くの人が良く考えるのは、
何か楽しいことが見つかったら
自分の人生は充実するだろうということですが、
在り方が投げやりなまま、やりがいとか
本当に心の底から喜びを感じられるようには
ならないでしょう。
順序がが逆なのです。
まずは、自分が自身の人生を本当に
引き受けるという意志が立つことが大事です。
今、肚の底からそれを宣言できるかどうか。
確かめてみるといいでしょう。
全身の細胞を感じながら。
声の響きを聴きながら。
自分が本当にコミットメントできているかどうか。
すべての歩みの一歩一歩に、祝福を。