変わりたい、変わらなくちゃ!
と思っているのに変われないってこと、
誰しも多かれ少なかれ体験されているのでは
ないでしょうか。
サロンにお見えになる方の中にも、
すごく頑張っているのに、なかなか変化が
見えないというケースがあります。
一見、人一倍頑張っているように見えるのに、
なぜなんだろう?と見ていくと、
幾つかパターンはあるような気がします。
思うままに書き出してみると、
まずは「変わらなくちゃ!」と念仏を唱えるように
いつも思っているけれど、実は深いところで
変わりたいとは思っていない。今の状態で
いることに、何らかのメリットがあるケース。
単に変わることへの恐れがあるというだけ
ではなくて、今の自分に対する執着が強い。
2つ目は意地を張っているケース。
自分の不幸は誰かのせいだと認めさせたい
という責任転嫁のパターンと、
悪者になりたくないという現実逃避
のパターンがあります。
3つ目は、変わらなくちゃいけないと思いつつ、
何をどう変えたらいいのかがわかっていない
ケース。
この場合は、本当に変える必要性を本人が
認識していないだろうと思います。
人から言われたから、そうなのか、と
鵜呑みにしているけれど、今一つ
ピンと来ていないとか。
強く言われたから勢いでそうなんだと
思い込んでいるとか。
どう変わるべきなのかがわかっていない
ということは、今現在の自分自身を
捉えられていない、ということでもあります。
まずは、在るがままの自分を
しっかり見なくてはいけませんね。
多分、この中のどのパターンでも、
底辺では「見たくない」という思いがあって、
自分に直面することを拒絶していると思います。
そして、拒絶していることに、
自分自身で気づいていない。
心当たりのある方は、今ここで以下の問いを
ハートに聞いてみてください。
私は本当に自分自身の在るがままの姿に
直面すると決めている。Yes or No?
頭で答えちゃダメですからね~!(^^)
ちゃんと、「ハートを感じて」
ハートの声を聴きとってください。
答えがNoの方と取れない方は、
自身に直面することを決めてないのです。
ここができていないということに
気づかないまま、先に進むことは
できません。
自分ではやろうとしているのに、
なぜかできない!といつまでも
ブレーキとアクセルを踏み間違えたような
状態が延々と続きます。
ここで気をつけなければいけないのは、
「できていない」ということを認められない
人がいるということです。
「できない」状態であってはならないから、
自分がそうであるなんてことは許せない。
でも現実はできていない。
となるとどうするかというと、エゴは
「できていない」自分を認識から抹殺するのです。
こうして「できていない」のにそれが
認識できない、という認識の欠落が生まれます。
メンドクサイですね~。(^^;
でも、こういうパターンは珍しくは
ないんですよ。
あなたの周囲にもいませんか?
明らかに負けているのに絶対に負けを
認めようとしない人とか。
先日も書いた、美意識によって
真実を捻じ曲げてしまうパターンです。
思うに、そう言うのは本当の美意識とは
言わないんだろうと思います。
ただ自分が惨めさや痛みを味わいたくない
がための逃避ですからね。
どこにも美意識の欠片すらないじゃないですか。
自分の持っている信念や美意識の底辺に、
こうした逃避がないかどうか、
よくよく確かめてみるといいと思います。
痛みも苦しみも喜びも快楽も、
清濁すべて併せ飲んでもなお失われぬものにこそ、
自身の軸を立て根を張ったらいい。
中途半端に「良くないもの」を排除して
「良いもの」になろうとしないことです。
そのやり方は、必ずバランスを崩して
失敗します。光を求めるほどに、
闇が深くなるやり方ですから。
自身の闇を恐れずに、とことん見つめ通すことです。
闇が極まったところで、信じられないくらいの
愛と光が見えてきます。
それを体験したら、光と闇を分離して
一方だけを求めるようなことはしなくなるし、
殊更に闇を恐れ、光に執着するようなことも
なくなります。
光を求めるのなら、同じくらい
闇もまた、マスターしなければいけないのです。
闇に向き合うには、軸をしっかり立てながら
進めなければ、容易く足元をすくわれますね。
逆に言えば、それだけ自身の闇を見られる
ということは、軸がしっかりして
根が深く張っているということでもあります。
あなたは今、どれだけ自身の闇に
直面できるでしょうか?
無意識にふたをしようとする抵抗に
どれだけ注意を払って気づこうとしている
でしょうか?
とことん、自分の醜さを見て、
失望や悲しさや絶望も抱きしめたら、
そこからぐっと器が大きくなるんですね。
メロンが大きくなる時、傷をつけながら
網目を全体にまんべんなく這わせると、
質の良いものができるのと同じかな。
傷はできてもいい。
意識の目を繊細に使って、細かく気づきを
もたらしていく。その時味わう痛みこそが、
栄養を運んでいくんですね。
自分を責めることに逃げないで、
ひたすらに直面していくことです。
それができるくらいの心の筋力を
鍛えてください。