9月ですね~。今年も残り4か月。
しっかり意識して過ごしていきたいと思います。
それと、お知らせですが、
9月29日から10月2日までお休みをいただきます。
メールのご返信は通常通り24時間以内に
させていただきますが、セッションなどを
ご予定の方は、どうぞお心にお留め置き
頂ければと思います。
ブログの更新はいつも通りです。(^^)
さて。
今日もまた辛口投稿かもしれません。
私は、自分自身と、私にかかわる人が、
いかに自身の足でこの大地を踏みしめ、
しっかりと立つことができるか
ということを探求しています。
そして、ヒーリングを通して、
その方に真に自分自身の人生の責任を
引き受け、生き生きとこの人生を
生きていけるようにサポートさせて
頂くことを意識しています。
故に、私はいかなる逃避や依存を
助長をするような行為も、
私の仕事ではないと考えています。
たとえば、延々とただ愚痴を聞いて同調し、
寄り添ったつもりになることとか、
その他さまざまな一時の気休め的行為も、
私はしたくはないのです。
それは、その方自身のためになりませんし、
私自身も腐っていく共依存的行為ですから。
責任転嫁は良くないとか、
自分の責任を引き受けなければ、
と頭で思っていても、
実際自分が何をどのように責任転嫁を
しているのか、私たちはしばしば
無意識に目を背けて自分自身を
煙に巻いてしまいます。
そこがわかっていなければ、
方向転換とか変えるとかできるはずもないですが
逃避傾向の強い方は、頑なにできない自分を
見ようとはしません。
無意識に、その手前でとってつけたような
ポジティブシンキングなんかをしてみたり、
関係ない話題に切り替えたりして
するっと逃げていきます。
それを見ることは、辛いことでしょう。
でも、避けて通ることはできません。
抵抗するほどに、辛くなります。
逃避傾向のある方は表面的にはどうであれ、
自分がそれほどひどい人間だとは
思っていません。
認めてしまったら、とてもいられないので、
自分はダメだダメだと言いつつも、
本当はそんな風には思っていないし、
決してその自分を認めません。
ここがパラドックスなのですが、
自身が否定した側面は、受容されるまで
繰り返し差し戻されるという法則の通りに、
ダメな自分を否定すると、
そのダメな自分を嫌というほど思い知るような
出来事がやって来るのです。
惨めな自分を否定したら、惨めさを味わう
出来事がやってきますし、
ズルい自分、醜い自分を否定したら、
そういう自分を思い知らされる出来事が
やってきます。
実際、在るがままにそういう自分を受け入れると、
あれほど重苦しかった心はとても軽くなり、
何の気負いもなく深刻さは消えていきます。
な~んだ、あんなに恐ろしいことになる
って怯えてたのに、全然平気だった!
ってなるんですね。
拒絶するから、深刻になっているだけなのです。
このことを受け入れて在り方を変えるかどうかは
あなたの選択次第です。
よく、自分の悪いところを否定して良い自分に
なろうとする人がいますが、上記の法則故に、
絶対にうまくことはないでしょう。
そうして苦しみをどんどん抱え込んで、
自分でどうにもならなくなって、
何かにすがろうとするようになります。
自分で自身を分離させて蓋をしているので、
内側からやって来る導きも取れないので、
少しでも楽になれるもの、人に執着
するようになるんですね。
よくヒーリング業界では
エネルギーヴァンパイアとかエネルギーイーター
という呼び方をする存在があります。
一緒にいるとなぜかものすごく疲れる人、
嫌な気持ちになる人は、意識・無意識的に
相手にエーテルコードを伸ばし、
エネルギーを奪っているのです。
愚痴を言ってすっきりして帰っていく人も、
この類になるでしょう。
自分で受け止められない嫌なものを
相手に押し付けて、自分は楽になって
帰っていくわけです。
愚痴を言い合ってお互いすっきりするという
パターンもありますが、そうしても
何ら根本的なところに対処しているわけではないので、
お互いに低い波動のまま、一時の気休めをして
また元の生活に戻っていくわけです。
こうしてみると、こういう在り方は
あなたが望んでいる在り方でしょうか?
そこはしっかり選択された方がいいのでは
ないかな、と私は思うのです。
望まないのであれば、自身の辛さを
誰にも押し付けることなく、
自分で責任を取る方法を身につける方が
どれだけ健全で建設的な人生になるでしょうか。
一人で抱え込めと言っているわけではありません。
ただ、自身の在り方を受け止めず、
ひたすら逃避している人の話と、
何とかして自分の責任を引き受けようと
覚悟を決めてもがいている人の話し方は、
全く違います。
自分がどちらなのか。
肚を決めている人が、わからない
ということはないでしょう。
わからないのなら、決めていないわけです。
二つに一つしかありません。
他人事のように良くなっていくようにと願っても、
当事者意識がなければ無理でしょう。
かくいう私自身も、どこまで気づき、
在り方を正していけるか、日々精進です。