被害者意識と自己憐憫、そして責任転嫁について

今日はかなり辛口の投稿です。
読みたくない方はスルーしてくださいね。

現実の状況が辛いものだと、
ついつい愚痴をこぼしたり、
我が身を嘆くばかりで

一日中をうんざりするような思考で
埋め尽くしていることって
よくあるのではないでしょうか。

クライアントさんなどからそういうメールを
受け取ることも、しばしばあります。

でも、こんなことを言っては何ですが、
私はそういうメールの内容って、
ほぼスルーします。

そうした自己憐憫や被害者意識たっぷりの
ストーリーには、正直全く興味がないからです。

変に同情、同調する気はまったくないので、
それを求めてこられると、すごく
失望すると思います。

これ、結構問題発言かもしれませんけれど。

私が興味があるのはただひたすら、
その方がどういう風に現実を捉え、
どこに引っかかっていて抜け出せなく
なっているのか?ということと、

その人自身がそこから抜け出そうという
意思があるのかどうか?という点のみです。

まぁ、ヒーリングの門を叩くのですから、
少なくとも表面的には抜け出したいと
思っているのでしょう。

けれど、本当に抜け出すことを望んでいるのか
どうかは、またちょっと違う話だったりも
するのです。

なぜかというと、
今のその苦しみを抜け出すには、
自分の在り方の不調和なところに気づいて
軌道修正する必要があります。

けれど、苦しみから抜け出せない方の多くは、
楽にはなりたいけれど、自分は悪者には
なりたくないと思っていたり、

相手の方こそ変わるべきで自分が変わるのは
不公平だと思っていたり、

自分の非を認めなかったり、
ということがよくあります。

その在り方こそがその苦しみを招いているのに、
決してそこを見ようとはしないし、
ましてや変えることには非常に強く
抵抗したりするのです。

それを認めてしまったら、変えようとして
しまったら負けだ、みたいに思っている方も
いらっしゃいますね。

でも、一体何に負けるというのか。
自分で作り上げた「敵」と戦っているのです。

誰しも、自身の非を認めるのは
勇気が要ることですし、
それまで築き上げてきたセルフイメージが
ガラガラと崩れていくのを体験するのは
恐いしキツイものです。

けれど、ここを通過することを
避けて通ることはできません。

それを自分の意志で、決めることが
できるのかどうか。

私はそこを見ています。

最初から未知の世界に踏み出す勇気が
十分に備わっている人ばかりではありません。

恐がってもいいのです。
助けを求めるのは悪いことではありません。

けれど、サポートを受けたとしても、その歩みを
行くのは自分自身であるというところを
少なくとも決めている必要はあるでしょうね。

おんぶにだっこで進めるほど、
甘い歩みではありませんから。

自分で日々湧き上がる恐れや不安、
悲しみや怒りなどの感情に向き合い、

自身のズルさや醜さ、弱さや惨めさと
誠実に対峙していかなければならないのです。

もちろん、その方がやると決めれば、
私はその歩みをお供いたしましょう。

苦しい感情の受け止め方や、
現実との対峙の仕方、日々の在り方など
お伝え出来ることはたくさんあると思います。

それをいかに自身の日常に落とし込み、
血肉にしていくかはご本人の領域です。

自身の被害者意識に気づき、
加害者になっている自分にたじろぐことなく
見つめ、受け止めていくことをするのかどうか。

理想とは程遠い自分を責めることなく
受容していこうと思うのかどうか。

自己憐憫や被害者意識に飲み込まれている方は、
確実に責任転嫁の傾向があります。

その責任を、自身に引き戻して果たさねば
なりません。

けれど、多くの場合、ご本人は責任転嫁を
している意識が全くないのです。

ここが問題で、セッションなどでも
ここにいかに気づきを導くかがヤマ場
だったりします。

自己卑下ではない、本当の謙虚さと
ひたすら気づきたいという意思が必要ですね。

無意識に頭の中を一日中、
自分や誰かを責める思いや自己憐憫、自己卑下の言葉
が廻っていることに、どれだけ気づいているでしょうか。

その思いを、気づきや導きへの祈りに変えたら、
どれほど違うか。

都合の良いことには熱心に耳を傾けても、
耳の痛いことは一切シャットアウトして
都合よく捻じ曲げていることも
よくあります。

なぜ自分がこんな目に遭うのか?
一体これはどんな罰なのか?
という人もいますが、
どんな出来事も罰ではないのです。

すべては気づきを促すメッセージであり、
これほど伝えているのに気づかないのか?
というサインなのです。

そこに被害者意識と自己憐憫を持ってきてしまっては、
さらに気づきから遠くなります。

謙虚で在れ。
誠実で在れ。
真摯で在れ。
気づくまで、わかるまで求め続けよ。

神はなぜ私をこんな目に遭わせるのか
と被害者意識を持つ前に、
自分がどれだけ気づこうとしたか。
本当に、聴こうとしたかどうか。

それを自身に問うたことはあるでしょうか。

目をふさぎ、耳をふさいで
自己憐憫に浸っていても、
状況が良くなることはないでしょう。

自分が今どんな在り方をしているのか。
よくよく振り返ってみることです。

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