自分が責任転嫁や言い訳を無意識にしている
という大きな気づきがあって、そこから
どんな時にそれをしているかな~?
というのを内観していました。
それが起きる瞬間の微妙な何かを
取り逃がしている感覚が、
確かにあるんですね。
何か受け止めがたい感情が起きた瞬間に
マインドの思考に走るのと同じで、
言い訳や責任転嫁をする直前には、
やっぱり感じたくない「何か」を
感じているはずなのです。
「え~、でもそれってそういうものだし」とか、
「それは私のせいじゃないし」とか思う瞬間、
それも私の責任の領域のことだし、
「でも」と言わなかったとしたら、
どんな気持ちになるか。
こう問うことで、責任転嫁や言い訳をする
直前に何かが浮上した瞬間に意識を戻すのです。
すると確かにその瞬間、意識の空白があって、
現実に踏みとどまれずにつるっと逃げている
感覚がありました。
そこで逃げてしまうさらにその前に
感じていたものまで戻っていきます。
その前には「自分にはどうしようもできない」
という諦めがあって、諦めで蓋をした
エネルギーが胸の奥に捉えられました。
それは胸の奥にあるのだけれど、
足や腰の方まで力が抜けてしまうような
言葉では言い表しがたい独特の質感の
エネルギーでした。
意識、無意識的にも
「私にはどうにもできない。だからそれは
私の責任範囲ではない」という思考は
ここから始まっているようです。
そうなってしまったら、
そこには一切触れずスルーです。
何の対処もしませんし、できません。
振り返ってみると、
私は結構こういうパターンが
多いですね。
その根っこのエネルギーをとらえて
受け止めていきます。
何とわかりにくいところにある
エネルギーだったんでしょうね。
いつもこれが働いていたというのに、
今まで一切意識に上ったことは
ありませんでした。
今これが捉えられているということが、
奇跡のようです。
対象がわかればあとは受け止めるだけ
なので、そんなに難しくはないかな、
と思ったのですが、
やってみたら、思っていたほど
簡単というわけにはいきませんでした。
でも取り組んでいるうちに、
最近やってきていたパズルのピースが
関連していることがわかってきました。
今年に入って、複数の人から
私は「火」の要素がとても抑圧されている
ということを言われていたのですが、
今回捉えられたエネルギーは、
この抑圧に深くかかわっているようでした。
掘り下げていくと、
火を抑圧していることの奥には、
とても深い悲しみとやるせなさ、
言葉に言い表せない思いがあります。
これらが、胸の奥のエネルギーに
リンクしていました。
多少複雑ではあっても、ワークでやることは
こうした未完了の感情を受け止めることなので、
これもシンプルに、ひたすら受け止めていきます。
私は、これを本当に感じたくなかったんだな~
と受け止めながら、しみじみ感じていました。
身をよじって、ここから逃げていたんですね。
逃避が起こると、存在のバイブレーションに
微妙に「嘘」のような、ズレた響きが
生まれるのを私は感じるのですが、
自分の中で起こったことから逃げずに
受け止められると、このズレが戻り、
「嘘」の響きが消えていきます。
セッションでもこういうことを
良くやるのですが、ぴったりとずれが
戻って在るべきポジションに修正されると、
外見も凛々しく、美しく輝くように
見えます。
お顔から、「卑しさ」が消えるんですね。
逆に言えば、「卑しさ」は、
その人が自身の責任を全うすることから
逃げているときに隠しようもなく現れる品性
ということなのでしょう。
話は戻って、私の魂が幾つもの人生で
感じることを避け続けてきたものを
受け止めていくと、
悲しみの奥から嘆きが現れ、
文字通り胸が引き裂かれるような感覚が
ありました。
何をそんなにも嘆き悲しんだのか。
いくら問いかけをしても、
なかなかそこが見えてこなかったので、
私自身がそれを見たくなかったのでしょう。
もしそれを見てしまったとしたら、
私はどうなるだろう?
と問うてみると、
胸が張り裂けて、潰れてしまう。
そんな風に思っていました。
そうならないように、その手前で
抵抗して止めているわけです。
でも実際のところ、深いところでは
すでにそうなった自分がいるのです。
抵抗しても、意味はありません。
その自分を捉えて、受け止めていきます。
すると、見たくなかったものが
見えてくるようになります。
そこで出てきたストーリーから、
自分の嘆きのより詳細な質感が捉えられました。
より詳細なエネルギーの分布や、
幾つもの折り重なった感情の層が
表れてきます。
後はそれらをいつものように受け止めていくだけ。
というわけで、ここまで来るのに
結構時間がかかったので、
今日はこのくらいにして残りを後日、
やることにします。
「私にできることは何もない」
というこの思い、癒えていくといいな。