人間、誰しも辛いことや耐え難いこと
があると、意識的、無意識的にも
逃げてしまうことってありますよね。
どんなに強い人でも、
それはあって当然と言うか、
目覚めた人でもない限り、
ほぼないことはない、
と私は思うのですが、
他者から「あなたは逃げている」
と言われることにものすごく抵抗を
感じる人は多いだろうと思います。
こう言われて、
「あ、そうね、確かに逃げてるわ」
って素直に認められる人の方が、
多分、即座に否定する人よりも
良く自分を観察できているし、
変化も容易だろうと思うことは
よくあります。
何か問いかけをしたときに
自身の内側を感じることなく即座に
回答する人がいるのですが、
これがセッションの場合、
私はその回答を信頼しません。
もう一度改めて自身の内側をしっかり
感じてから答えるように、と促します。
感じることなく即座に出てきた答えは、
頭で考えた思考からくるものなので、
真実ではなく、その人が思い描く理想像から
創作したイメージであることが多いのです。
そうしたものによってワークを進めてしまうと、
正しい道筋が得られないので、その人が
本当に感じたものから出た答えなのかどうかは
非常に重要なチェックポイントになります。
「~だと思う」「~なのかもしれない」
というフレーズも要注意で、
それもほぼ創作ですね。
「そう感じられた」ということに対して
上記のようなフレーズを使うことは
まずありませんから。
どうしても感じられないものを
創作しないのだとしたら、
「わからない」という答え意外に
正解はないはずです。
セッションでは、この「わからない」
という答えも非常に重要な指針となります。
なぜなら、
明らかに「感じることに対する抵抗」があり、
抵抗の奥には「恐れ」がある、
ということがわかるわけです。
となれば、その恐れが何であるのかを
掘り下げていけばいい、と道が決まります。
もしここで創作された答えを採用してしまったら、
ワークはあらぬ方向へと迷い込んでしまいます。
「わからない」と言えない人、その事実を
認められない人は、自ら解放への道のりを
複雑にしてしまうでしょう。
自分は感じられていないのだ、
と在るがままを認めることから
始められるものがあります。
恐れていることを抑圧して自覚できない人も
多いですね。
恐れてはならない。
有能でなくてはならない。
弱みを見せてはならない。
敗北してはならない。
できない自分であってはならない。
などなど。。。
誰しも、多かれ少なかれ
持っているんじゃないかな?
自身の内にこうした「禁止」があると、
この部分における心の視野が
すっぽり欠けてしまうんですね。
恐れているのに、恐れが認識できない。
できないのに、できない自分を否定する。
明らかに負けているのに、負けを認めない。
弱い自分を否定するがゆえに、
嘘や誤魔化しを重ねなければならないなど。
色々な歪みが出てきます。
セッションなどで、私はその人のエネルギーを
読みながら「あ、怒りがあるな」とか
「恐れがある」というサインを見ています。
そのうえで「怒りがあるの、わかりますか?」
とか「恐がっていますか?」って聞くんですね。
で、本人の答えが私の感じ取ったものと
ズレているとき、そこに抑圧を見るわけです。
そこで再び
「ハートに向かって、私は自分に恐れを感じることを
禁止している。yes or no?」
と問いかけます。
すると、本人も明らかに「あ、禁止してます」
とわかる場合もあるし、「ハートの声が取れません」
という方もあります。
後者はより抑圧の強い方ですね。
つまり、noと言ってしまうことが都合が悪いのです。
けれど、ハートは決して嘘はつけません。
だから、沈黙させるしかないわけですね。
真実に耳をふさいでいるということです。
これが、ハートの声が聞けない理由です。
二重に抑圧しているわけですが、
これもその奥には恐れがあります。
恐れの奥には痛みがあるので、
その痛みを明確に浮上させるように
ワークを導きます。
自分は完璧にやっているはずだ。
私は有能だ。
自分は常に逃げずに頑張ってきた。
これまでもたくさん勉強してきたし、
色々努力もしてきた。
逃げているはずはない。
なまじ、こんな信念を持っている人の方が、
余程真実から遠ざかってしまっていることが
あります。
「自分は逃げている」というフレーズを
心に置いたとき、抵抗なく受け取れる方は、
まだ真実に聞く耳を持っています。
抵抗が少しでもあるのなら、気をつけましょう。
もう既に、心の視野は歪み、欠けています。
その言葉を受け入れたら痛むであろう
その心の部分に、真実があります。
自身の真実を生きたいと思うのなら、
意識的に、そこにフォーカスするといいでしょう。
普通、人間は痛みを感じると逃げるものです。
だから、方向転換するには、意識的に
ならなければなりません。
逃げていること自体は何ら、問題ではありません。
気づかず、認めないことが、苦しみを生むのです。
さて、あなたは何を求めていたのでしょうか?
完璧な自分なのか、それとも、
自身の真実を生きる喜びなのか?
何を選択するかで、今とるべき行動が
違ってきますね。
あなたの歩みに、祝福を。