気持ちが落ち込んでるときって、
何かと良からぬことをあれこれ
考えてしまいがちですよね。
有り得ないほど暗い未来を思ったり、
良くないことはみんな自分のあれが悪かった
これがいけなかったなどと自分を責めたり、
あるいは、誰かのせいにしてみたり、
ありとあらゆるものに責任転嫁しながら
あ~でもない、こ~でもないと
延々と考えていたりします。
しかも無意識に。
そうやって、
一日の内の何時間を過ごすことでしょう?
冷静になれば、そんな無駄なことは
しないのでしょうけれど、
ネガティブ思考のスパイラルって、
抜け出そうと思っても、
強力な引力があるようで、
気が付くとまた同じところを
グルグルしていたりしますね。
だから、ヒンドゥーの伝統ではよく、
人々の心が暗くなったカリユガ(鉄の時代)には
ジャパをするのが良いと勧められるのですね。
ジャパというのは、
マントラを繰り返し唱える修法で、
日常の中で常に唱えると良いと
されています。
私は朝、祭壇に向かうときに特定のマントラを
何種類か(今は20種類くらい)特定の回数
唱えています。
人によっては、道を歩いているときとか
お皿を洗っているとき、何か頭を使わない作業を
しているときでもずっと唱えているという方も
あります。
そうしていると、ネガティブスパイラルの
思考をせずに済むし、マントラという聖なる音で
自分の波動を調整できるので、一石二鳥以上の
効果があったりします。
まぁ、日本的にはお経だとかお題目とか、
或いはキリスト教的には主の祈りとかでも
もちろん素晴らしいと思います。
自分はだめだ、きっとあの人は私のことを
バカだと思っているんだ。どうせ私は。。。
なんてことを一日常、それも激しく思い
続けているよりは、どれほど良いでしょうか。
そんなことを思ったのは、
感情解放ワークで自分の醜さを見つめる時に、
自分を責めることに逃げる方がたまに
いらっしゃるからです。
こんなに醜い自分は愛されるはずがないとか、
だから私はこんな罰を受けているんだとか。
ワークで自身の在るがままの姿に直面するのは、
そんな風に自分を痛めつけるためでは
ありません。
どんな出来事も、罪だとか罰だとかではなく、
ただ気づいて方向転換しましょうね
って言うだけのメッセージです。
良くないと思う出来事を自分への何かの罰
だとして、自分を責める材料にするのは
ナンセンスな話です。
どんな自分の側面も、慈しみ、受け入れ、
愛するためにワークしているはずなのに、
これでは本末転倒です。
セッションなどで私がそばにいれば、
そうした自責の念に逃避する動きも
シャットダウンして軌道修正できますが、
セルフワークの場合はそうも行きませんからね。
自分でどんな自身の姿も愛するのだということが
根っこにないと、あらぬ方向に進んでしまいます。
以前から何度も書いていますが、
後悔、自責の念は、逃避の一手段として
起こります。
醜いと思える自分の姿に直面するのは、
非常にキツイものです。
それに耐えかねて、自分はだめだ云々の思考が
湧き起って来るのですが、
要は、自分を責めることでそのキツさを
紛らわせているわけです。
どれだけ自分が悪いんだ、これは罰なんだと
言い続けたところで、根本的に自身の真実を
見つめているわけでもないので、
何がどう悪いのか、どうすべきなのかも
実は全くわかっていないでしょう。
ある意味、自分が先に被害者になることで、
加害者になっている自分の側面から
目をそらそうとしているということもあります。
そう、ずるいんですよね。
そういうズルさを見ようとしないで、
自分は善良なはず、謙虚なはず、
という都合の良いところしか受け入れない。
けれど、そこに執着するほどに、
その人の影は暗く、重苦しいものに
なっていきます。
それ自体が悪いとは言わないけれど、
その姿は、本人がなりたかった方向とは
真逆のものではないのかな、と思うのです。
ポジティブな光の側面ばかりに執着する人に
こういう傾向が特に強いように感じます。
自身の闇を拒絶して光だけを求めるのって、
ご都合主義だと私は思ってしまうんですよね。
自分は無条件に愛されたいって
思っているのに、
自身に対しては
「良い子じゃないと愛してあげない!」
って条件付きの愛でしか見ていない。
私はただ、私として在るだけだよ!
在るがままに私を愛して!
って、拒絶された自身の側面は叫んでいる
のではないでしょうか。
あなた自身が、誰かに対してそう叫び続けて
来たように。
拒絶され続けてきたから、
そんなにも痛々しいほどに荒み、
暴れているのだということに、
どうして気が付かないのか。
気づこうともしないで、
ただ分離させ、隔離し続けている。
自分に対してしている、
そのむごい仕打ちを直ちにやめるべきなのです。
ワークは、そこに気づくために
するものなんですね。
いかに自分を愛し抜くことができるか。
チャレンジしていきましょう。