感情解放ワークでは、今この瞬間に
感じているものを掘り下げていくと、
過去世のストーリーが鮮やかに
浮かび上がってくることがあります。
過去世と言うと、特別な人だけに
見えるもの、というイメージを抱く方も
多いですが、全然そんなことないですね。
初めての方でも、結構簡単に見えます。
セルフワークでコツがつかめないと
なかなか掘り下がらないのですが、
コツがわかって来ると、1人でもかなり
のところまでわかってきます。
たとえば、何かしらの恐れがある場合。
お金だとか恋愛関係だとか友人や仲間など、
失ったり騙されたり去っていかれたりということを
まだそれが起こってもいないのに
不安に感じること、あるでしょう?
恐れや不安は、過去の痛みの記憶が
今この瞬間に滲み出して起こっている
感覚です。
だから、どこかで必ずそういう体験を
していたり、身近で見ていたりするんです。
普通はそういう恐れが湧き出てくると、
慌てて意識をそらしますが、ワークでは
そこを見ていきます。
いや~な体感覚もしっかり受け止めながら、
きっとこの人は私を裏切るだろうと
思えるのなら、ダイレクトに
裏切られたとしたら?というところを
イメージを膨らませて見ていくのです。
相手は、どんな風に、なぜ私を裏切った
と感じるのか。
裏切られた痛みをじっと受け止めつつ、
その時自分は男性だったろうか?
女性だったろうか?と問うてみます。
すると、今の自分とは違う性を
認識したりすることがあります。
ということは、これは過去世の記憶
になるわけです。
年齢は、どのくらい?
相手はどんな関係性の人?
相手の裏切りの動機は?
裏切った人は一人だったのか、
仲間がいたのか?
それから私はどうなった?
相手はどうしたんだろう?
その人生で、私はどんな風に
死んでいっただろう?
1人で?側に誰かいた?
外なのか、家の中なのか?
そのとき、私はどんな気持ちを
いだいていたのか?
こんな風に問うていくと、
多分その人生のストーリーが
鮮やかに浮かび上がってくるでしょう。
はっきりと出なくて良いのです。
何となくそんな感じがする。
少なくとも、○○じゃない。△△だ。
といった具合に、ぼんやり曖昧なところの
範囲を絞っていきます。
この人生で死ぬ瞬間に抱いていた気持ちが、
今生に持ち越されているわけですね。
だから、今この人生を生きていても、
私はきっとこうなってしまう!
こんなつらい思いをするのは恐ろしい!
そうならないように、行動を制限しよう
と無意識にしているのです。
用心深く、なかなか相手を信用しなかったり、
できるだけいい人になろうとしていたり、
常に相手の気持ちを確認せずには
いられなかったり。
過去に受けた心の傷が、
じくじくと膿んで痛んでいるんですね。
ワークでは、ストーリーを掘り下げて
その時味わったショックや悲しみ、怒りや
憎しみなど、あらゆるスペクトルの感情を
受け止めていきます。
ここまでで統合のプロセスの3分の1くらいです。
ワーク初心者は多分ここまでで精一杯でしょう。
もう少し上級になると、意識を相手に
入れて、相手が自分を裏切った動機を
見ていきます。
相手からしたら、自分(あなた)の方が最初に
相手を傷つけることをしているかもしれないし、
明確な悪意を持って、面識のないあなたを
陥れているかもしれません。
いずれにせよ、必ずそこには動機があり、
そうしなかったら被るであろう「嫌なこと」
があります。
相手はその不快感を裏切りという行為によって
あなたにぶつけているわけです。
故に、相手の意識の中で、相手が責任を
取っていないこの感情を受け止めていきます。
ここができると、相手はあなたを裏切る
動機自体が消えますので、ストーリーは
裏切らないものに変化しているでしょう。
ここで、裏切りという行為をした
場面の相手の意識まで戻ると、
相手は自分のしたことを深く受け止め、
謝罪したいと思うようになっています。
あなたの痛みを本当に受け止めたうえでの
謝罪がなされると、あなたの傷も
癒えていくでしょう。
こうして和解が成立すると、裏切りの傷は
癒えていきます。
他のテーマでも、大体こんな感じで
トラウマの痛みを統合していきます。
相手の意識に入って相手の痛みを受け止めるのは、
相手のものと思えて、それは実は自分自身の
痛みが相手を「鏡」として映しているもの
だからです。
だから、相手の痛みを受け止めれば、
自分の痛みを受け止めたことになります。
ワークをされる方でたまに
「相手の痛みを受け止めてあげて、
相手が解放されるのを見ると、
何で自分がやらなくちゃいけないんだ
と思ってしまう」
という方がいますが、それは本当に
相手が「鏡」であるということを
理解していません。
ワークをして本当にこの辺りが腑に落ちる
ようになると、自身の現実に現われるもの
すべては自分なのだという感覚になります。
大好きなあの人も、
大嫌いなアイツも、
何とも思わないあの人も、
みな自分の表われなのです。
頭ではわかるけれど、と言う人は多いですが、
そういう気持ちがあるうちは、
多分本当に統合はできていないのだろうな、
と思います。