最近は鏡の法則とかミラーリングとか、
スピリチュアルに興味のある方には
馴染みのある世界観になってきている
ようですね。
でも、頭ではわかっているけれど、
「あれのどこが私なの!?」っていう
思いはぬぐえずにモヤモヤしている
という方も多いようです。
感情解放ワークでも
この辺りの読み解きはかなりみっちり
深くやりますが、
法則がわかっていても、
どうそれを自分に当てはめて読み解くかは
全く別のことですね。
ワークをされている方でも、
よく「あれは私のことなんです」
と頭ではわかっているけれど、
どこがどのように自分なのか、
わからないままにその観念だけで
責任を取ろうとしている方を
よく見かけます。
でも、それがわからなくて
どうやって責任を取れるのでしょう。
概念だけを押し付けて、わかったふりで
先に進もうとしないように。
「あれは私」というのなら、
どこがどう私なのかをしかと見なくては
先には進めません。
その気づきがなくては癒しはなく、
変容もあり得ないですから、
「あれは私」といくら唱えていても、
現実は変わらないでしょう。
気付きには深さがあります。
気づきの表面に触れただけで
「わかった!」と思考であれこれ
対処しようとマインドに戻っていく方も
よく見かけます。
あるいは、
瞬間に見えた「鏡」の中の自分の姿に
気づいて、あまりのことにバッと
鏡を振り払って背を向けていく方とか。
気づいたけれど、認めたくない
というのが後者のタイプですね。
いずれにせよ、気づきから離れた瞬間から
変容は止まってしまいます。
「あれが私なんだ」という気付きから、
離れてはなりません。
そのまま、「鏡」を見続けてください。
さらに深く、深く。
そうすることは、往々にして
とても苦しいことです。
自分の信条や美学とは正反対の姿だったり、
見るもおぞましい、有り得ない自分だったり
するからです。
それを拒絶して、「清く正しい自分」
というアイデンティティでこれまで
あなたは生きて来たんですね。
けれど、拒絶されたその要素が、
他者に投影されて極端な姿で「鏡」に
映し出されて見せられてきたわけです。
自分がどんな姿で、何をしてきたのか。
直視することなく方向転換することは
できません。
ここが、ワークで一番辛いところ
かもしれませんね。
認めてしまったら、これまで築き上げてきた
自分のアイデンティティは崩壊してしまう。
でもそれは、崩壊しないといけないものなんです。
崩壊した後にしか、新たな自分は
生まれてきません。
変わりたいと言いつつ変われない人は、
この崩壊を拒む人です。
そして、拒むほどに、
苦しさは増していきます。
なぜ拒むのか。
そこを見て、恐れに向き合えれば、
このプロセスを越えていく可能性は
出てきますね。
気づきがないままひたすら事態の好転や
癒しを願う人を多く見かけますが、
なぜその出来事が起こっているのか?
という視点を持って、自分が何に気づき、
どんな方向転換が必要なのかと問う
謙虚さが欲しいな~と思います。
出来事はすべて、在り方を問うメッセージ
だと私は思っています。
気づきもなく方向転換もしないままに
事態が収束してしまったら、おそらく
あなたは方向転換しないままでしょう。
それでは、メッセージを送る側としても
納得しないですよね。
いかにメッセージを受け取り、
応答していくか。
これこそが導きなのだと思います。
手っ取り早く外から正解と思えるものを
取り込んで一気に不都合を解決して
しまおう!というやり方では
絶対にできない歩みですね。
うまくいかないことがあって
もう随分長く悩んでいるのなら、
今の自分のものの味方とは
もっと違った現実の捉え方が
必要なのかもしれません。
自分が固執している正当性や立場を
下りて相手の視点に立ってみるとか、
決めつけ、硬直したその視点を
もっとフレキシブルにしていくことで、
動けるようになったり、違う感じ方が
できるようになったりするでしょう。
その視点を持つ一つのきっかけに、
ぜひ感情解放ワークの世界観を
知っていただけたらと思います。
なぜその現実が起こっているのか。
何に気づき、応答しなければいけないのか。
どうやってそれをするのか。
「鏡」をどうやって読み解いていくのか。
ドツボにはまっているときに、
そこから脱出するためのヒントになる方も
いらっしゃると思います。
興味のある方はぜひこちらをどうぞ。
感情解放ワークブック
そして、もし可能であれば
ワークショップに参加してみてくださいね。
あなたの人生に、愛と祝福を!