セッションなどで様々な心の傷や
トラウマを掘り下げていくと、
しばしば出てくるテーマに
「裏切り」というものがあります。
裏切られた被害者の側だったり、
裏切った方の加害者の側だったり
様々なストーリーが出てくるのですが、
多いのは圧倒的に加害者の側の
ストーリーですね。
あの人は私を裏切った!
というショックと怒りと混乱と、
深~い悲しみの傷が、心の奥底で
じくじくと痛み、
どこか人を心底信用できないとか、
今の幸せが突然崩れてしまうんじゃないか
という恐れを常に抱えているとか、
という恐れにつながっていたりします。
こういう傷を統合していくとき、
被害者としてのそのショックや痛みを
受け止めていくこともやりますが、
ワークでは裏切った側の意識にも入って、
なぜ裏切るに至ったのかという部分も
かなり詳細に追って、その要因を
統合していきます。
大抵そうしてしまうには何らかの恐れが
そこにあるからで、避けたい感情や感覚が
あったんですね。
たとえば、悪意を持って裏切った場合、
相手から奪ってやろうとか潰してやろう
とかいう思いがあったりします。
ではなぜそうしてやりたいと思ったのか
というところを掘り下げていくと、
実は相手からとてもひどいことをされていた
という事実が出てくることもありますし、
単に自分が楽をしたいから相手に責任を
押し付けてしまえという軽はずみな
思いからだったり、
悪意がない場合では、
相手に悪く思われたくないので嘘をついたとか、
色々な理由が出てくるわけです。
それぞれのストーリーについて、
ではもしそういうことをしなかったとしたら、
加害者の心にはどんな思いが湧いてくるか
と問うてみて、核心の感情を探ります。
つまり、
相手に悪く思われると居心地が悪い、悲しいとか、
自分が責任を取るとその重さに押しつぶされて
しまうとか、復習できなかったら怒りで
狂ってしまうとか。
加害者は、これらの感情に自分で対処
できなかったので、裏切り行為に
走ったわけです。
これらの感情を、加害者の意識の中で
受け止めるワークをします。
ちゃんとこれが統合できると、
ストーリーは裏切りをしないものに
変わっていきます。
こうしてから被害者である自分の意識に
戻ってくると、裏切られた痛みや
裏切りを恐れる気持ちが癒えているんですね。
相手の中に見た「裏切りにつながる感情」は
実はあなた自身の中にあったものと一致します。
この感情が、その出来事を引き寄せたわけです。
あなたは今回は被害者だったかもしれない。
けれど、この種を持っているということは、
何かの拍子に逆の立場、加害者になってしまう
可能性もあるということなのです。
被害者と加害者は一つのコインの裏表であり、
もし自分がその一方になったのだとしたら、
もう一方の面も必ず持っています。
そのことを認められるかどうか、
ということも、実は統合には非常に重要な
ポイントになってきます。
一般に、被害者の側面を認めるよりも、
加害者の側面を認める方がずっときつかったり
しますね。
可哀想な被害者でいた方が、ズルくて卑怯な
加害者の自分を認めるよりも、マシだと
多くの方は思うようです。
でも、被害者でいるには加害者が必要です。
自分の中の認めたくない要素を認めない限り、
自分の現実にその認めたくない要素を
嫌というほど見せつける人を引き寄せるでしょう。
あなたの周りに、嫌な人がいる理由が
わかるでしょうか?
私を裏切ったその人の弱さや狡さ、無神経さが、
私の中にもある。
そのことを直視できますか?
裏切りを経験する人は、その構造的に必ず
「自分自身をも裏切っている」
と言えます。
自分に対して、相手が自分にしたようなことを
そっくりそのまま、しているんですね。
多分そういう自覚はないでしょうけれど、
必ず自身の内に、乖離があるんです。
だから裏切ることができるうえに、
自覚できていないのです。
裏切りというテーマは、深く掘り下げていくと、
責任転嫁の構図や逃避、自分の現実に
地に足をつけることをはじめ、
自己成長の様々な要素がかなり広範に
関係してくるので、本腰を入れて向き合うと、
素晴らしい成長の機会ともなります。
裏切りに遭って被害者意識で一杯に
なっているときに、このことを直視するのは
結構キツイものですが、
最悪の経験も、素晴らしい愛と感謝の
出来事に変容します。
だから、何としても、
最高の学びに変えていきましょうね。
遅かれ早かれ、あなたはこれを越えて
成長した自分になっていきます。
それを今生、ここ数か月、1年の間にやるか。
来世に持ち越すか。
タイミングが来ていたら、始めていきましょう。